天才よ、永遠に。プリンス愛に満ちた『プリンス論』
ほぼ毎日読書し、ほぼ毎日読書ログを書いています。
昼食を作りながら聞いていたラジオから流れてきた曲の、ギターの音を聞いて、あ、これはプリンスだなと気が付く。
知らない曲だったけど、曲の歌もまだ流れていなかったけど、音楽が特別好きなわけでもないけれど、プリンスの曲は、ああ、プリンスだなとわかってしまう。プリンスでしかありえない何かがある。
ひさしぶりにプリ様の声を聴いて懐かしくなったので、本書を再読。
好きなミュージシャンは? と聞かれても、直ぐにパッと何かが出てくる人間ではない。あまり熱心に音楽というものを追いかけてこなかったし、これからも熱心にはならないだろう、つまらない男なのだけど、枕に「強いて言えば」とつけつつ「プリンスかな」と言う事が多かった。
プリ様との付き合いは長く、出会いは小学生の頃だ。友人と吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」を大合唱してたハナタレだったけど、テレビでながれた Purple Rain のPVを見て、なんてカッコイイのだと雷を打たれた。
ほら、かっこいい。歌詞の意味もわからず聞いていたけど、子ども心に、この人は気持ち悪いけど凄いぞ、と感じるものがあった。
Purple Rain のジャケットもイカしてた。プリ様は大型バイクで有名なハーレーダビッドソンにまたがっているのだけど、これは特別に小さく作ったものだと聞いたとき、言葉にならないポジティブな思いに心が満たされた。
彼は、155センチ前後と、背が低かったのでギターもバイクも小さいサイズのものを愛用していた。そして、ステージでは常にハイヒール。
コンプレックスとナルシズムの拮抗具合がたまらない。
思い出深いのは「LOVE SEXY」というアルバム。
中学生の頃にプリンスが好きだといいながらアルバム「LOVE SEXY」のジャケットを友人に見せると、十中八九「え、きもちわるい」と言われ、あいつはオカマだといじられた(これは、とんねるずが悪い)ので、うかつに心を開いて自分を見せてはいけないという事を学んだ記念すべきアルバムだ。
そう、プリンスは、日本では気持ち悪いおじさん扱いだった。やたら肌を露出しているし、モジャモジャだし、つねに女性とイチャイチャしている。かなりいかがわしい。日本では色物扱いだ。
そんなプリンスに対する誤解を解き、正しい道へ導くのが本書だ。
本書では、日本人による初めての「プリンス本」となるそうだが、初ににして決定版といった、よく整理された充実の内容になっている。
プリンスのディスコグラフィーを追いながら、彼の生い立ちやユニークにして革新的だった音楽性について、比較的客観的に語られる。
本書を読みながら、紹介されている曲をYoutubeで検索して聞き始めると、いつの間にか虜になり、はまってしまうだろう。今までの人生でなぜプリンスを真面目に聞いてこなかったのかと反省し、もう新しい曲を聴くことが出来ないという事実に悲しみを覚えるだろう。
プリンスはもう居ない。死んでしまった。鎮痛剤の過剰投与というつまらない事故だった。ピカソみたいに、ジジイになっても量産をやめない人だと思っていたので、とても残念だ。
著者は私と学年にすると1つ上。同年代で、同時代を生きながらプリンスと似たような出会い方をしているからか、本書を読み進めながら、そうか、そういうことだったのかと膝を打つ事が多く、膝が真っ赤になってしまった。
今さらではあるのだけど、おすすめです。
「それって有意義だねぇ」と言われるような事につかいます。