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それぞれの世界に引き込ませる不思議で強い絵柄 『村上春樹の「螢」・オーウェルの「一九八四年」』

ほぼ毎日読書をし、ほぼ毎日「読書ログ」を書いています。346冊目。

コロナ騒動が始まる前、新宿の紀伊國屋書店に立ち寄った時に見かけ、気になっていた本。その時は、入口付近に平積みにされていて、村上好きでSF好きとしては気になってしょうがないのだけど、作者の「森泉岳土」という名前に見覚えが無く(私の趣味的には気がついているべきだったなぁ)、手にとって本を開いたらジュリアのヌードで「おおっと、すみません」的な感じですぐに棚に戻してしまってそれっきりだった。

それが、最近オーウェルの『動物農園』を読んで、この流れで久しぶりに『一九八四年』を読もうかな、でも、あれ、長いし体力使うよなぁ、なんて思っていた時に、そういえばと紀伊國屋書店での出会いを思い出し「螢 一九八四年」で検索して見つけて購入。それが今朝届き、すぐに読み始めたら引き込まれちゃって、子どもに遊べ、遊べと文句を言われながら一気に読了した。という事でご紹介です。

『村上春樹の「螢」・オーウェルの「一九八四年」』(森泉岳土)

まず目に入るのは、見たことのないタッチの線。

まず水で絵を描き、そこに墨をたらすという独特な描き方。最初説明を読んだときはピンと来なかったのだけど、ググったらご本人がアップしている動画が出てきました。

これは凄いなぁ。

そして、出来上がった絵はこのような感じに。こちらもご本人のTwitterから。すごいよね。

出来上がった絵は、私のボキャブラリーではうまく説明が出来ないのだけど、従来の漫画の文脈から逸脱していて、線が線じゃないし、面は面じゃない。ユニーク。唯一無二という意味においてユニーク。

内容は、タイトルにもある通り、村上春樹の短編『螢』と、オーウェルの代表作である長編『一九八四年』の二本を漫画にしたもの。『一九八四年』なんかは随分と端折られているけど、この絵柄だからこそ成り立つ『一九八四年』となっているのではないかしら。

村上春樹の『螢』は『ノルウエーの森』の底本になったとされる短編作品。発表は1984年。どこか自分に近しい人に起こった物語のように感じる、心をざわつかせるお話。

オーウェルの『一九八四年』は言わずとしれたディストピア小説の傑作で、ビッグブラザーに支配され、徹底的に全体主義、管理主義の世界となったある国でのお話。

著者の画が『螢』や『一九八四年』の世界観にしっくりハマっていて、惹かれるものがありました。二本の物語に共通する、強いフィルター越しに世界を見せられているような感覚が呼び起こされて、自分が持っていた各作品の印象が再構築されるよう。オススメ。

私が大好きなカフカの『城』も書いている。それも読んでみたい。

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