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毎日読書#250 『日本の弓術』(オイゲン・ヘリゲル)

オイゲン・へリゲルはドイツの哲学者。大正13年に哲学を教えるため来日。もともと神秘主義を研究しており、禅で言う「悟り」に強い興味があったということで、立禅とも言われる弓道をを習い始める。

弓術とはなにか、西洋人はまずスポーツとしてとらえる。確かに近代武器に駆逐された戦いの為の技術のうち、いくつかは競技として残されてきた。剣道とか、柔道とか、その他格闘技などがそう。

しかし弓術はそのような残り方はしなかった。へリゲル曰く

日本人は弓を射ることを一種のスポーツと解しているのではない。初めは変に聞こえるかも知れないが、徹頭徹尾、精神的な経過と考えている。

という。

弓術は、徹底的に肉体と技術を鍛え、その命中精度を競うようなものではなく、純粋に精神的な鍛練だ。これが欧米人には理解が難しい。だって、日本人にも難しい。

せいぜい、ドクターストレンジやバットマンに出てくる導師が、逆説的なことを言い続け、さもそこに真理があるような雰囲気を出しているような世界。

オイゲン・へリゲルは、そういった思弁的な世界から抜け出すには、禅の理解、思弁的ではない仏教の理解が必要だと理解し、受け入れる。

オイゲン・へリゲルに通訳としてついていた方のあとがきのような解説も併せて読むと、相当苦労しながらも、禅の理解は可能だと信じて突き進む姿がよくみえてとても面白い。

全てを言葉で説明しようとする欧米人的な良心を感じつつ、そのことの難しさに苦悩する姿や、やがて得たものを説明するときの苦心・不信などが見て取れる。結果として、日本人には書けないだろう「禅入門」といったものになった。

本書は、ヘリゲルがドイツで行った講演が元になっている。この講演が評判となり、公演の内容を書籍化したところ半世紀以上読みつがれる超ロングセラーとなっており、そちらの本は日本では『弓と禅』として出版されている。そのうち再読してご紹介します。

本書とても面白かったのだけど、読み手としての実力不足も感じる事になったな。哲学や宗教に対する知識、教養が無いからか、読み方が浅いなと感じてしょんぼりした。

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