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マッチョな侘しさ 『老人と海』(アーネスト・ヘミングウェイ)

ほぼ毎日読書をし、ほぼ毎日「読書ログ」を書いています。2冊目。

ヘミングウェイによる超有名な短編マッチョ小説。

84日間、まったく釣果の無い漁師のサンチャゴ(老人)が、小さな帆掛け船(船の長さは16フィートなので訳4.9メートル、およそトヨタのランクル(大きい車)と同じ長さ。)でメキシコ湾(海)に出る。

しばらくすると、カジキマグロ(鼻の先が尖ったマグロ)が、それもすごく大きな(18フィートで1500ポンド、正しい尺にすると、およそ5.5メートルで680キログラム。あの松方弘樹ですら3メートル弱の300キログラム位が最高記録なので、コイツはとてつもなく大きい。体長はサンチャゴの舟よりも長い)カジキマグロがかかる。

長い時間(48時間)をかけ、カジキマグロ(鼻の先が尖ったマグロ)と対話(といってもサンチャゴの独白で自身との対話。どこか神道世界の神との対話のような、一種のユーモアを感じたりも)しながら。満身創痍になりながら。ついに仕留める。

が、港に帰るまでの間(24時間ほど)に、カジキマグロ(鼻の先が尖ったマグロ)を狙うサメに襲われ、それらと戦うも、港に到着するころには、カジキマグロはあらかたサメに食べつくされてしまう。というお話。

単純明快一直線な物語だが、読んでいると老人の一歩一歩踏みしめるような身体感覚が伝わってきて、身体が重く苦しくなってくる。読んでいるだけで汗が吹き出し、その汗が日照りで乾き、身体がしょっ辛くなってくる。そんな感覚が体に走る。じんわり疲れる。

これが世に言うマッチョ文学なのか。

ヘミングウェイといえばマッチョだ。

マッチョといえばヘミングウェイだ。

マッチョ嫌いで定評のある私には縁遠い作家だったのがヘミングウェイだ。

若い頃に、他のヘミングウェイ作品と一緒に読んで、マッチョってのはよくわからない人種だが男というのはこういう男に憧れるものなのだな、という程度の感想しかもっていなかった。

だがしかし、不惑を過ぎて「老人と海」をちゃんと読んでみると、老いたマッチョの、かつてマッチョだったマッチョが、ついにマッチョでは居られないくらいに老いてしまっても、やはりマッチョを捨てられないマッチョな侘しさ、というものを、わずかながら感じることができた。

いくら力が強くても、いくら漁が上手でも、結局は他人との背比べの中でしか生きられないマッチョの物悲しさと、それをいかにマッチョに乗り越えるかというサンチャゴのマッチョな苦悩。

何者でもない自分を認めるための方法は沢山あるけど、あえてその中からマッチョ化を選ぶ人種のマッチョな気持ち、理解は出来ないけど、その気持は痛みとともに体に染み入ってくる。

文学が心にしみるのは、物語のなかに、自分の気持ちの代弁を見つけて安心したり、反省したり、明日につながる何かを見つけたりすることができるから。でも、そのためには自分にも成長が必要だったりする。良い作品は、人生のなかで何度でも読み返す事が出来る。読むたびに違う物を得られる。あと20年くらいして、まだ生きていたら、また読んでみたい。

光文社のほうはPrime会員ならKindleで無料で読める。小川高義の翻訳は、とても読みやすいし、結構良いと思う。

ところがどっこい新潮社。福田恆存訳も良かった。福田恆存はすごいんだぞ。こちらもおすすめ。


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