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『<再演> 朗読劇 白昼夢の青写真 CASE-_ 誰が為のIHATOV』 が最高だった話

2024年8月3日に山野ホールにて行われた『<再演> 朗読劇 白昼夢の青写真 CASE-_ 誰が為のIHATOV』を観に行ってきた感想です。

原作である『白昼夢の青写真』の評判は耳にしていて、1年前の初演発表時にも正統続編なら絶対に観たいやつだと思ってはいたのですが、当時原作未プレイで時間もなくて止むなく見送り。公演後の評判もやはり良かったので惜しいことをした……と思っていました。
それ故、朗読劇の再演が発表されたときはまさか!と思ったまま(原作未プレイにも関わらず)チケットの申込み、無事当選しました。当選したからには原作をちゃんと読んでから行かねばならぬということで、積んでいたSwitch版に手を付け、世凪の残した世界の美しさを知りました(未だ感想を書けていない)。

そして挑んだ朗読劇。正統続編という名に恥じないシナリオ、演出であり、端的に言って最高でした。開場前にサントラだけ物販で買っていたのですが、公演を終えた後にもう一回物販並んでポストカードセットを買い足しましたね。

以下、朗読劇の感想を書いていきますが、ネタバレに関しておおよそ3つの段階に分けています。

  • 朗読劇そのものについて(ほぼネタバレなし)

  • 演出的な話(本公演独特だなと感じた演出的なネタバレ、シナリオの話はしない)

  • シナリオの話(ネタバレ)

朗読劇という表現方法

原作ノベルゲームの続編を朗読劇で、というのは中々に挑戦的な展開だと思います。よくあるのは同じノベルゲームとしてのファンディスクとか、朗読劇に近い形式だとドラマCDでしょうか。
私自身は朗読劇の観劇は過去に2回ほどあったので、朗読劇がどんな雰囲気かは肌感でなんとなく知っていました。だからというわけでもないですが、(どんな物語が展開されるかはさておき)浅川悠さんや三宅麻理恵さん、杉崎亮さんが舞台上で読むのか?あの役を???というのが気になるところ。つまり、朗読劇なので演者は舞台上で台本を持ちライブで読んで演じるわけで、原作においてキャラクター性はもちろん声色にも幅のある複数役をこなしていたアレをリアルタイムでやるのか、ということですね。

蓋を開けてみればさすがプロ。序盤はアンドロイドの機械的で抑揚のない独特な喋り口と感情のある人の声をきっちり使い分ける三宅さん、年の違う世凪やその人格の声を即座に切り替える浅川さんにしびれました。声優ってすげぇな……終盤には浅川さんがセリフの合間にタオルで目頭を抑えているのが見えて、本当に感情を込められていることが見て取れました。
また、原作でキャスティングされていなかった海斗を演じられた福島潤さんの演技も素晴らしいものでした。ノベルゲームでは主人公に声が当てられないのはよくあることですが、朗読劇では声で演技する以上そうもいってられないということで今回キャスティングされたのが福島さんです。浅川さんや三宅さんと違い福島さんは海斗役のみですが、一つのキャラクターのみを演じているからこそ、キャラクターが見せる様々な面をその演技の幅によって見せてくれました。原作において海斗は主人公として内面を多く語られる立ち位置であることを差し引いても、作中で最も感情の振れ幅を見せるキャラクターでしょう。その感情も、プラスのものだけでなく、ときには怒りや憎しみといったマイナスの方向にも振り切れるキャラクターであり、朗読劇においてもそういった感情の発露は一つの見せ場でした。
ところで、これは現地にて配布されたラプラシアン通信でも書かれていたのですが、ノベルゲームと朗読劇の違いの一つとして、テキストの積み重ねではなく演者が直接的にキャラクターの感情を演出できる、というものがあるそうです。これは確かにそうだなというか、朗読劇の物語をノベルゲームとしてそのまま落とし込んでも同じような切迫感や緊張感は生まれないだろうな、という感じがします。特に負の感情を、声量の制限なくダイレクトに伝えられる、というのがノベルゲームでは実現しにくく朗読劇のだからできた演出なんじゃないかな……ゲームだとボリューム調整が入って声の強弱が抑えられていそうですが、朗読劇ではそういったことはなく演じられたままが伝わる。そして演じられた感情の強さは演者の方の見せる真に迫った表情とともに観客である私に伝わってきました。いや本当、福島さんの海斗はすごかった。

そういったところで、朗読劇という中々お目にかからない表現方法でありながらも、ノベルゲームとの違いを意識した演出と展開をしっかり練った内容になっていたと感じました。

以下、演出的なネタバレの話をします。朗読劇を観ていなくてもし今後機会があることを願っている、そのときまで取っておきたい、という方はページ最下部のあとがきに飛ぶかここまでです、読んで頂きありがとうございました。

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ノベルゲームを観ているような演出

朗読劇という表現方法に合わせた内容にしているとはいえ、原作はノベルゲーム。朗読劇に馴染みのない人も多いと思いますが、そういったもともとの客層に合わせた演出をしていたのが、舞台上に設置されたモニターに映されたゲーム画面でした。
ただ演者が朗読するだけでなく、モニターにはゲーム画面さながらの立ち絵やスチル絵が流されている。よく見れば立ち絵シーンではキャラクターの会話に合わせて表情が変わっていて、まるでゲームのアフレコ現場みたいにも見えました。普通の朗読劇ではお目にかかれない演出だったので面白かったです。

これ、考えてみれば当たり前というか、白昼夢の青写真という物語の特性上要求されるものでもあるんですよね。普通メインキャラは一人一役で、脇役として一人複数役演じられることもありますが、観ている側としては喋っている人を見れば物語において今誰が話しているのかはすぐにわかります。また、舞台設定も基本的に変わらないか、少なくとも世界観はほぼ共通です。しかし白昼夢の青写真では、話し方が違うとはいえ一人複数役が基本で、物語が現在展開している世界観も場面によって全く違います。この違いを朗読のみで感じ取ることは(不可能ではないにしろ)かなり負荷になるでしょう。
特に、一番最初の家族団らんのシーン。あれをゲーム画面なしに朗読だけを聴いて、その違和感にすぐに気付ける人がどれほどいるか。私は自信ないです。
また、公式ページの出演欄にあるのは出演者の名前だけで、誰が何を演じているかも記載されていません。その意味でも、今誰が話しているかをわかりやすく伝える方法が必要なはずです。それが、観客全員が親しんでいるゲーム画面だったわけですね。

以下、シナリオ的なネタバレの話をします。朗読劇を観ていなくてもし今後機会があることを願っている、そのときまで取っておきたい、という方はページ最下部のあとがきに飛ぶかここまでです、読んで頂きありがとうございました。

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誰が為のIHATOV

副題にある「IHATOV」とは宮沢賢治による造語で「心象世界にある理想郷」を指すそうです。原作CASE-1の楽曲名や本編中に宮沢賢治の要素があるように、このIHATOVも同様ですね。
「心象世界にある理想郷」といえばもちろん世凪の仮想空間であることはすぐに当たりがつきました。ではいったい「誰が為」なのか。

直接的には朗読劇における事件の首謀者であり、歪められた理想郷の中で一時の夢を見て、そして本来の理想郷に戻ることができた「りん」でしょう。ただ実際の射程はおそらくもっと広く、この理想郷、白昼夢を観測している全ての人とも言えます。それは、「りん」の本当の名前は劇中では語られない名前のないキャラクターであり(グッズ特典のEpilogueでわかります)、物語のキャラクターに没入して夢を見てしまう彼女の弱さは、あの仮想世界に住む人々が海を夢見たように誰もが持ちうるものでもあります。今回はたまたま凛の物語に深く共感した「りん」が首謀者となったに過ぎず、他の物語であったり、世凪が別の物語を書いていたりすれば、また別の人が同じような事件を起こす可能性は十分にあるでしょう。
そういう意味で、このIHATOVは白昼夢を見るすべての人の為にある、と言えます。

また、世凪の仮想空間を観測しているのは何も仮想空間に住まう人々だけでなく、遊馬も同様です。今回の事故により偶然ではありましたが、彼が生涯を掛けて研究することを決めた基礎欲求欠乏症の根治療法の手がかりが、まさにそこにあることを見つけられたわけです。遊馬のことを許せるかは別にして、彼が求めるものがこの仮想空間にあるならば、これもまた彼のためにあると言えるでしょう。

祈りの物語

実のところ、原作ゲームにおいて幸せなエピローグ含めてきれいに終わっただろうに、一体どうやって続編をするんだ?と思っていたところはあります。なので、最初に海斗と凛、汐凪、そして祥子が地下で食卓を囲んで家族をしているシーンから始まったときは戸惑い、物語が進むにつれて世凪との思い出が歪められていくことに、何を見せられているんだと、海斗同様苛立ちのような感情を抱いていました。

その感情は、物語が進むにつれて世凪との思い出を彩るスチル絵において、世凪のいた場所が凛の姿に置き換わっていくほどに大きくなり、ついに海斗は「りん」の首に手をかけます。前段では書かなかったですが、朗読劇という形式をライブで観る、という体験が最も生かされたのは恐らくこのシーンでしょう。このときの海斗の鬼気迫る声と暴力的な行為は、感情がダイレクトに伝わる朗読劇という表現方法が存分に効果を発揮していて印象深いです。ノベルゲームだとここまでの感情の昂ぶりを感じ取ることは難しい気がします。

閑話休題。海斗に向けられた激しい感情によって、「りん」は自分を取り戻すことができたわけですが、その中には「りん」の幸せを願う世凪の祈りがあったといいます。ここのあたりまでくると、あぁそういうことか、と流石に感じるものがありました。原作は世界を救い、世界を作るという壮大な物語な一方で、描かれたのは海斗と世凪、そして遊馬を始め二人を取り巻く物語でした。しかしそこには、その救われる対象となる人々の影が少なく、世凪たちが願ったように救われているのか、という点がほとんど語られていませんでした。
そこをすくい上げたのがこの正統続編である朗読劇でした。少しだけ強くなった海斗と世凪が、他者の記憶によって歪んだ救いを手にしてしまった一人の少女に、本当の自分の在り方を定めることができて、幸せになれるように祈る物語。それはまさに、原作において海斗と世凪が手にしたものだと、そう思います。

最後に余談ですが、遊馬が出雲を通じて海斗に「りん」の殺害を提案したときはお前が言うか!?となり、実際に海斗が行動を起こしたときにはその迫力に魅せられつつも心はどこまで苦しく、遊馬もこんな気持ちだったのだろうか、と思っていました。実際終盤に海斗が遊馬に語っていたように、この感情の揺れはすっかり脚本と演出に乗せられていたわけですね。思えば海斗視点で基本的に進行するとはいえ、彼が抱く拒絶感や激情が直接伝わりそれにずっと共感していました、素晴らしいと言わざるをえない。完全に手のひらの上でしたね。

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あとがき

ここまで読んでいただきありがとうございました。

白昼夢の青写真が好きな人ならぜひこの朗読劇も観てほしいと思いますが、配信や円盤といったカメラを通さない「生」の劇を観てこそのものだと思うと難しい…… まあまず再々演があるかもわかりませんが、今後のLaplacianの展開で新規ファンが増えたら或いは、なども期待したいです。

そうそう、今後の展開といえば、白昼夢の青写真の音楽LIVEが発表されましたね。Hinanoさん歌唱の興奮冷めやらぬ中で、お知らせがあります、とおっしゃられたときはなんだろうと思ったら音楽LIVEやりますドーンでびっくりですよ。いけたらいきたい。他にも進行中の企画があるということで、これからも楽しみにしています。


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