見出し画像

時が運んでくれたもの


ベートーヴェン作曲の「エリーゼのために」は
クラシックに興味のない方でも、
はじめのフレーズは耳にしたことがあるのではないだろうか。
私とエリーゼのためにとの出会いは、小学2年生のころ。
思えば・・・
ベートーヴェンへの恋の始まりでもあったのかもしれない。

子供の頃に弾いたという人は多い。
「私も弾ける」「私も弾いた」・・などと、
子供が弾く簡単な曲というような解釈では、あまりに悲しい。
また、音符を並べ、強弱をつけ・・ただ鍵盤へ楽譜を写したような
弾きぶりでは、もったいない。

楽譜の向こうに隠された世界、ベートーヴェンの思いなど、
本当のよさは、ずっと後になってからで、
楽譜を読み取るまでには、技術を磨き人生経験をつみ、
何年も何十年も続け、続けた先に見えてくるもの。

「大人の方の弾き合い会」で、
エリーゼのためにを弾くという生徒。
生徒が、どのあたりで(芸ごとの道のり)演奏しているのか、
どのような響きを持って、どのように解釈しているのか、
音から、演奏から伺える。

大人になって弾くと、叙情的で、
表現するのも難しい曲だと思うのではないだろうか。
解釈は一つではないこと・・云々様々な気づきについて、
しばし音楽談義を交えてレッスンする。

本当にその音、響きは、自分が感じている世界のものなのか、
一音一音、確認するかのように、響きを探ること。
全体的な印象や形を整えても、一つ一つの響きが、
おそろかでは、音楽は成立しない。

・・・・・

演奏とは・・空間に色彩豊かに描く・・から、
自分自身が音になる感覚へ、そして奏者自身が音の旅をする。
音と自分が一体化すること。音との融合ともいう。
それは、とても気持ちのいいのもで、
弾いている感覚はなく、身体が無になる状態。

演奏におけるエゴとはなにか・・自分のエゴと向き合う・・
本当の練習はここからはじまる。
音とは、日々の練習の仕方のみならず、
性格も心の中も見えてしまうものと言ってもいいくらい
音は嘘をつかない。

また、日常も、人間関係も・・・様々な問題の解決も
練習の気づきから学ぶといってもいいくらい
練習の気づきが自分を育ててくれている。

楽譜は遺跡の宝探し、遺跡への旅のようでもある。
毎日が新たな発見であり、
生きているかぎり、進化し続けていきたい・・と思う。

・・・・・

音楽の話ができること、共感し合えること、
なんとも言えぬ幸せを生徒から頂いた思い。
30年の時が運んでくれた幸せ・・生徒へ感謝する。

今日の弾き合い会・・よりよい演奏になるように・・