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虚しさに味付け

昨日、過食した。

「過食」の程度は人それぞれだと思う。量なのか、カロリーなのか。昨日の私は成人女性に必要なカロリー2日分ほどを摂ってしまった。物量もそれなりにあった。炭水化物ばかりだったからか、昨日の夜は異常に喉が渇いた。今日は何も食べる気が起きないほど胃から下が重い。

ストレスが溜ると過食しがちなところは以前から変わらない。一度目の休職前は、過食とまではいかなくても日々菓子パンとお菓子に頼る毎日だった。今回の休職前も同じ。

嘔吐恐怖症のため、どれだけ食べても吐くことはない。というか、吐いてしまう0.5歩手前で食べるのをやめる。こんなことは絶対に言ってはならないのは承知の上だけど、吐ける人が羨ましいと思うこともある。


誰かと食事しているときに食べすぎることはまずない。
先週は友達カップルがカフェ巡りに誘ってくれて、楽しく食事をした。晩ごはんは焼き鳥を数本食べただけでお腹いっぱいになった。たくさん食べて、たくさん話して笑って、心から楽しい一日だった。
誰かと一緒に食べる食事はすごく美味しいし「あれは美味しかった」と思い出すことができる。値段も場所も関係ない。


独りでひたすら食べる、というより詰め込んでいるときは味がほとんどわからない。何も感じていないから、それが美味しいのか自分が食べたいものなのかもわからない。
昨日食べたものは自戒として記録してあるけど、味は全く思い出せない。食べた記憶すら曖昧なものもある。


なんでこんなことをしてしまうのか。

体重計の数字と、浮腫んだ顔を見て後悔する。
後悔することはわかっていたはずなのに。


結論はわかってる。
虚しさを食べ物で埋めているだけ。
そんなことをしたって、物理的に埋めたって、虚しさはどうにもならない。むしろ増長する。
食べ物は一時的な「満たされた感覚」を与えてくれるだけ。


身体は「もう食べられない!」と言ってるのに頭は「まだ足りない!食べろ!」と命令する。昨日はそんな感じだった。
ここ数週間、頭と身体が繋がっていないように感じるのだけど、それを実感した日だった。最後に食べたナポリタンは吐きそうになるのを堪えながら完食した。吐くことには脳も恐怖を覚えるのか、そこでようやく食べることをストップした。途中の買い出しも含めると約2時間。わざわざ買いに行ってまで食べなければいいのに、と今は思う。でも、あの「食べろ食べろ食べろ食べろ!!」という衝動には抗えなかった。


元々はあまり食に執着はなくて、外出中にお腹が空いたけどとくに食べたいものがないときはファミレスに行くようなタイプ。ファミレスなら何かしら引っかかるものがあるだろう、と。空腹を我慢して帰宅することもある。今もそうだけど、食にお金を使うのは勿体ないとすら思っている。
なのに、昨日は「どうしてもカップ焼そばが食べたい」「どうしてもクリームパンが食べたい」などと次々に浮かんできて、コンビニへ走った。コンビニで食べ物を買うなんて滅多にしないのに。
虚しさを埋めたいという欲求はなにもかもを超えて襲ってくる。


昔から痩せ型で「細いね」「華奢だね」と言われることが多かった。そして、そう言われる自分が好きだった。どんなに精神的に落ち込んでも自傷行為に至らないのは、色白で細い手首に傷を付けたくないから。そのくらい、細身であることはアイデンティティの多くを占めている。

約一年前の軽躁期、とにかく市内を歩き回っていて体重がどんどん落ちていった。身長156cmで40キロ台になったので、目に見えて痩せていたし周りからも「ご飯食べてる?」と心配された。食事はとっていたけどごく少量で満足できたし、活動量が上回っていたので体重をキープすることも苦ではなかった。体重計に乗るのが楽しみで、そんな自分が誇らしかった。

だからこそ、二度目の休職手前から菓子パン漬けの毎日になって体重が2キロ程増えたときは落ち込んだ。やめよう、今日で最後にしようと思うほど止まらなくなって、罪悪感について苛まれる。そのストレスで食べる。完全に負のループに陥っていた。


過食も自傷行為だ。
身も心もボロボロになるし、浪費も伴う。
この「虚しさ」を埋めないと。
ブラックホールのように肥大化していくこの感情を。
でないと、自分が飲み込まれてしまう。


虚しい。空しい。






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