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マネジメントを学ぶ理由~エピソード1

 僕が、P.F.ドラッカーが提唱するマネジメントという考え方に出会い学ぶようになったのには、れっきとした理由がある。大きな声で言えるような立派な理由でないことだけは確かだ。10年ひと昔という言葉があるので、当時の手記を元に綴ってみようと思う。

何があったのか

今から11年前、あの未曾有の震災よりも少し前のこと。僕は過度なストレスから自律神経失調症と診断された。多忙であったといえるのだが、それ以上に自分で自分を追い込んでしまっていた。過労より周りの目が気になり、余計に仕事にのめり込んでいた。当時、さまざまな理由があったにせよ、不器用な僕は身体の変調がピークを越えるまで無理を通した。

 身体の異変

 身体の異変は、はじめ、何が起こったのか分からなかった。深夜残業後の帰り道に、突然転んでしまった。転ぶのはいつでもありうることだが、転んだあと、軽いパニックになった――起き上がれないのだ――酔っている訳でもないのに。

 少し、落ち着こうと座り込んだ。気づくと両方の耳が聞こえづらいのが分かった。変な感覚だった。水泳の潜水で失敗した時のようなくぐもった音がしていた。数回の耳抜きで回復を試みて右耳が戻った。すると立てるようになった。何かがおかしいと冷や汗を掻きつつ、終電を逃すまいと家路を急いだ――左耳はくぐもったまま。

 最初の病院へ

 数日後、左耳が聞こえづらいので、僕は耳鼻科を受診した。めまいに似た転倒もあったのでメニエール疑いとして、数日間、耳鼻科特有の水薬を飲むことになった。10日ほど経って再検査するも状態は変わらず、その頃には立ち眩みが頻繁に起こるようになっていた。近所の病院では原因がわからず、大きな病院の紹介状を持たされたのだった。

 検査

 大きな病院の耳鼻科で鼓膜の検査や、健診よりも幅の広い聴覚テストなどを体験した。なかでも立ち眩みのテストが異常なまでに厳しく感じて、看護師さんに支えられた程であった。

 検査結果 

 診察室に呼ばれ、ドクターに「耳の病気でもないのに耳鼻科に来るな!これは心の病気だ。紹介状を書いてやるから、3日以内に心療内科にいきなさい。カウンセリングではなく、薬が処方できる心療内科に必ず行きなさい!耳が聞こえにくいのは心因的な突発性難聴だ。」となかなかの剣幕で通達されたのだった――2009年11月も半ばを過ぎた頃だった。

 通院と本屋さん

 こうして、僕はメンタル疾患者として、その後8ヶ月にわたって心療内科への通院がスタートしたのだった。僕が通ったクリニックは駅の近くにある。駅ビルには大きな本屋があり、通院の際には必ず本を1冊買うことにした。メンタルの回復を目指して、自己啓発や心理学の本を手にしていった。

つづく

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