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マネジメントを学ぶ理由 エピソード7

 学び方が変わった

 このセミナー受講を機に、僕の学び方は変わっていった。書いてあることをそのまま受け取るのではなく、本質に沿った物事の見方をするようになっていった。もともと、自分でいろいろ考えるタイプだったのだが、いつの間にか考えないようになっていたのだと気づいたりした。自分の意見が言えなくなるまで、自分との葛藤をないものとして扱ってきたのだ。ドラッカーの質問に答える度に、その答えに含まれていたのは自分自身の本音だった。質問の度に自分と対話していたのだ。ドラッカーという視点を通して――。
 年が明ける少し前、僕は心療内科に通わなくなっていた。医師に電話相談し出されていた薬は頓服として、しばらく手元に置くことにした。

 原因は別にあった

 自分自身と対話が出来るようになるまで、随分と時間がかかってしまった。小さいころから得意だった作文や感想文が書けなくなっていたこともセミナー受講後に提出するアンケートを通して感じていた。自分の意見を言って否定されるのが怖かったのだ。この原因は実は、仕事とは別の世界で起きていた事も判明した――真因だった。

 友との再会

 心療内科に通ってしばらくした2010年の4月ごろ、10年来の友人と5年ぶりに再会した。当時、友人は精神科医への道を歩み始めていて、ちょうど東京に研修に来ていた。半年ほど滞在するとのことで、時々呑みに行ったり、X JAPANのLiveにも一緒に行ったりした。ある日の呑みの席で、僕はここ数年で一番ショックを受けたことを打ち明けた――。

 前年に起きた事件

 それは、前の年に起きた事件だった。仲間の自殺についてだ――桜が散る季節の頃に僕は、その当日直前まで連絡していた友人を失った――ショートメールのような機能で短いメールのやりとりをしていた。最後の返信が気になったが、以前にも似たようなことがあったので大丈夫だろうと思い直した。
 翌日、警察から電話があり、あれこれと詰問・尋問された。冷たく一方通行で、友人がどうなったかは捜査上言えないという。携帯は署で押収したとも告げられた。後日連絡するかも知れませんと言われたが、それっきりだった。それからしばらくして、共通の友人から仲間の自殺を知ったのだ――。

 素人に助けられるはずがない

 精神科医の友人からは「助けられなかったとか、自責の念があるなら偽善も甚だしい。医者にも止められないことを素人に止められるはずがない。医者をなめんな。」ときっぱり、やや強張りながらも強めの口調でそう語った友人に救われ、居酒屋で涙した瞬間だった。「それが、いまの状態なんだろうね。」と支えてくれた。事実そうだった。このことを理解してから、僕は物事を前向きに捉えられるようになり「もし~ドラ~」に誘われていった。

 後日談だが、精神科医の友人は「呑みの席でカウンセリング的な事は一切話さないのだけれど、あれは特別ね。恩返しだよ。」との一言にまた涙したのだった。友人が精神科医になることを決める時、誰より後押ししていたのは僕だったと明かしてくれた――。

つづく

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