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マネジメントを学ぶ理由 エピソード8

 封印という儀式

 年が明けて2011年になった。早生まれの僕は、ほどなくして誕生日をむかえ37歳となった。昨年12月のセミナー以来、すっかり薬に頼ることもなくなっていた。薬はもともとあまり好きではないし、とくに安定剤は強い倦怠感と中途半端な眠気を伴って強制的に落ち着かせようとしているのが嫌だった。手元の薬は数か月前から一錠たりとも減っていない――もう、飲むことはないだろう。そう感じ、誕生日を機に僕は残った薬をビオフェルミンの大きな空瓶に入れ、封をした――。不思議といろんなものも一緒に封じれた気がした。

 新しい部署をつくる

 年があけて少し経った頃、社内の会議で部署を新設する話が持ち上がった。僕は、幸いにも回復していたので興味深く聞いていた。メンタルがポンコツな僕でも、会議に出れる役職にはあったのだ。その日の会議は、そういう案があるという通達のようなものだった。しばらくすると、また上司から呼び出しがあった。これはもしかして――。
 予感は的中した。新部署を起ち上げて欲しいという打診であった。復調の報告はしていたので、割と早いタイミングで現場復帰すると感じていた。
やや心配しながらも打診してくれた上司に、承諾の意を伝え、部署名は僕に付けさせて欲しいと申し入れた。上司は一瞬驚き、少し考えてから「一任する。」と満面の笑みで僕の肩を叩いた。
 後日、新部署のメンバー表を渡された。そこには僕を含め、社内では少し疎まれるメンバー5名の名前が連なっていた。不思議と、このメンバーなら出来る、マネジメントがある、やれない策はない。そんな言葉が僕の中でコダマするのを聴いていた――。震災をむかえる直前ころの事である。

 娘からの快気祝い

 当時、まだ小学1年生だった娘が、僕が元気になったからと描いてくれた絵がある。手元の記録には2011年2月20日とある。その日の夕飯の後に「元通りのお父さんになった。やっと返って来た!良かった~また、いっぱい遊べるね!今の顔を忘れない様に絵に書いておくね!」と家族の画を描いてくれた。僕はその一言に自己を確信し、ようやく自分に返って来た実感を持ったのだ――。大きな衝撃から自分を見失い、周囲との軋轢を大きくしてしまった自己の在り方――猛省する以外に無い。今でも時々思う。この時の猛省は活かせているのだろうか。メンタルが図太くなって、老害を周囲に与えていないだろうか。真摯さを忘れていないだろうか。この絵はそうした原点回帰をさせてくれる。
 僕の挑戦はまだ始まったばかりだ――。

つづく

快気祝い


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