風土改革をしたいと思った原体験を探る-2

そして会社に勤め、もくもくと要素技術や治工具設計や機械設計や組立工程の生産準備と海外展開、品質工学を活用した品質改善など、エンジニア的なことを中心に仕事をさせてもらった。どちらかといえば営業などとは異なって、人間関係にそれほど気を使わなくてもよい仕事だった。

基本的には昭和の時代だ。今では想像できないかもしれないけれど、会社にパソコンの無い時代もあった。すべての連絡手段は紙の書類でまわってくる。それを歩いて次の人に手渡したり書類箱に入れる。長期出張の時なんかは、机の上が書類で山積みになってたなー。手渡すついでに何かしらの会話や会釈程度はするという最低限のコミュニケーションがあったかな。今は一斉メールで連絡が来るし、隣の人への伝達もメールで自分も済ましている。タバコ部屋の雑談も無くなった。書きながら少し思い出に浸ったが、時代は変わったナー。

ISOなんかが始まってからは、特に社内ルールが細かく桁違いに増えた。基本的に性悪説に基づいてルールを決めていっている。従業員に対して信用していないというメッセージが伝わってくる。

全体的に人間ぽい対話が激減している。会議では発言する人はいつも決まった人だけ。深い話なんかする人はいない。そんな時間は無い。発言に感情は入らない。優先されるのはロジックだ。その方が少なくても目先は効率的に見えるから。そして会議後にグチを言う人が現れる。すぐにグチが出るのはまだましな方で、数か月後に「あのときはこうすればよかった」というグチもある。そのときにそう思ったら言おうよ。

いつからこんな会社になったんだろう。立派に大企業病になった。

どんどん見て見ぬふりをする人が増えてきた。中学時代のいじめの傍観者を思い出す。あーここでつながったかもしれない。これもひとつの動機みたいだな。

傍観者を減らしたいんだ。





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