渋沢栄一「論語と算盤」を読む
「論語と算盤」を読んで、もう何十年が経つのでしょうか。当時、私は人間の生き方や倫理、道徳を説く「論語」と商業を意味する「算盤(そろばん)」がなぜ結びつくのか理解できませんでした。
しかし、新一万円札の顔となった渋沢栄一氏が、道徳を重んじながら商売を行ったこと。また、WBCで侍ジャパンの監督を務めた栗山英樹氏が「論語と算盤」から得た知見が大いに役立ったと言われることを知りました。私も近年では「論語」も嗜むようになりました。なぜ、一流と言われる経営者や監督が中国古典の教えを大切にするのか。そして、なぜ道徳とも言うべき「論語」があらゆる分野の、しかも一流の人たちの指針となりうるのか。この度、守屋淳氏の訳・注解による渋沢栄一氏の「詳解全訳 論語と算盤(筑摩書房、2024年)」が刊行されました。私は、守屋氏による註解も期待しながら拝読させていただくことにしました。
まず、道徳とも言うべき「論語」の教えがなぜあらゆる分野で必要かということです。渋沢栄一も
と述べています。
「論語」に対する渋沢栄一の解釈もありますが、企業活動をすることについては、社会に貢献することになります。この社会貢献は、世の中を治め人々を救うという「経済」の語源である「経世済民(けいせいさいみん)」に繋がります(江戸時代、経世済民は「政治」「統治」「行政」という広い意味で使われていました)。そのため、正しい富の追い求め方は、世の中の進展に役立つ商品やサービスを提供することになり、雇用が生まれ、人々の豊かさと幸せに繋がります。結果的に富むことになり、さらにお金を生かした使い方をして、より良い社会を築き上げていくことが必要であると感じました。
次に、道徳とも言うべき「論語」があらゆる分野の、しかも一流の人たちの指針となりうるのかということについてです。渋沢栄一も本書において、
と述べています。
つまり、偉大な経営者や監督たちは、天を意識し、天命を意識していました。さらに、まずは道理によって物事を進めれば、天が自分に徳を授けてくれると信じていたのではないでしょうか。松下幸之助氏は、それを「運の強い人」と表現しました。京セラを創業した稲盛和夫氏も自己の利益よりも他人の利益を優先させる「利他(りた)」の精神を大切にされました。つまり、自分を磨き、人格を磨くことで、他人に対して貢献することが可能となります。さらに、天の道理にかなったとき、私たちが世の中の進展に寄与し、運に恵まれると考えられます。
では、具体的にどのように自分を磨けば良いのでしょうか。中国の古典には、「自分の行いを正しくし、よき家庭をつくり、次に国家を治め、天下を平和にする」とあります。そして、渋沢栄一によれば、我が国の中国古典の教育を受けた者たちは、まず親や目上の人を大事にし、論語にある「仁(愛を広げる)」「義(みんなのためを考える)」「礼(礼儀を身につける)」「智(物事の内実を見通す)」「信(信頼される)」という5つの道徳を押し広げることで自分を磨き、常に天下国家を心配するようになったというのです。そのような人たちが増えれば、国家も進展し、栄えるということがわかっていたのでしょう。
「論語と算盤」には、最後に天命について触れられています。天からは、人間が意識しなくとも四季が自然に巡り、すべての物事に降り注ぎます。そして、この運命に対して「恭(礼儀正しくする)」「敬(うやまう)」「信(信頼する)」という3つの態度で臨むべきだと。これができて初めて、「人事を尽くして天命を待つ」という本来の意義が理解できると渋沢は言います。
渋沢によれば、成功は一時的なものに過ぎません。しかし、人の価値はどれだけ財産を積み上げたかではなく、どう生きたかで測られます。本書の冒頭には、渋沢栄一による「5つの格言」が掲載されています。これと合わせて、本書に紹介されている徳川家康公の遺訓も、論語の要素で成り立っています。
喧騒で時間に追われる現代。つい、私たちの直面する仕事の本質を見失ってしまうことがあります。しかし、論語に書かれた道理に従い、人格を高め、天命を知ることにより、すべてが私たちの仕事の拠り所になることを知りました。大谷翔平も「論語と算盤」を愛読書にしているということです。中国の古典や偉大な経営者から学ぶことは、今の私たちにとって非常に重要です。
「論語と算盤」は、ただのビジネス書ではありません。それは、私たちがどのように生き、どのように他者と関わり、どのように社会に貢献するかを教えてくれる人生の指南書です。渋沢栄一の言葉は、時代を超えて私たちの心に響き、私たちの行動を導いてくれます。この本を通じて、私たちは自分自身を見つめ直し、より良い未来を築くための力を得ることができるのです。