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薩摩会議 特別番外編 ドルフィンポート跡地にはハコモノではなく街を作ろう 第三部:離島交通 離島文化経済圏 ヤマシタケンタ氏(前編)

坂口:ドルフィンポート跡地の活用についていろんな議論が出ているんですが、今回どうして「離島」について話したいかというと、やっぱり錦江湾(鹿児島湾)って歴史的にも海の玄関口で、鹿児島が誇る南北600kmに渡る群島への窓口だった場所なんです。

今回のイベントの会場となっているこの場所も、ドルフィンポートのすぐ近くなんですけど、時々「ボーッ」という船の汽笛が聞こえます。

それで、僕とかは県外に出ていた時期も長いので、鹿児島に帰ってくると「海の玄関口だな」「鹿児島って港町だな」っていうイメージがあるんですけど、意外と鹿児島の人たちって、ここが港町であるという認識って薄いと思うんです。

この地域に住んでいる人たち自体が(港町であると)認識していないので、県外から来る人たちも天文館にいて「海すぐそこなんですよ」と言うと「え?そうなですか?」って人意外と多いんですよね。

ドルフィンポートから桜島を望む

また、このドルフィンポートの場所というのは、こんなに桜島がドーンと見え、種子島屋久島に行く航路とか硫黄島に行く航路、桜島に行く航路とあって、鹿児島が誇る自然資源に向けた玄関口であるにもかかわらず、海外から世界遺産の屋久島に行く人もこの港に来てそのまま屋久島に行って、ここに帰ってきて、すぐ近くに繁華街の天文館があるにも関わらず割とそのままスルーして帰ってしまったりという非常にもったいない状況があります。

そこに今、体育館(スポーツコンベンションセンター)を作ろうという動きがあって、これは何度も口酸っぱく言っているんですが、体育館の建設自体を反対しているわけではないんです。
体育館に反対しているわけではないんですが、観光とあまりにも文脈のずれた巨大な箱物をここに作ってしまうと、今までもここを通過する観光客の足を止めてもらうことができない上に、何か大きいイベントをするたびにこの周りは確実に渋滞が起きてしまう。
そうすると今まで来てくれていた人さえもさらに足が遠のくのではないかという懸念がありますね。本当に大丈夫なのかなと。

外のこの美しい風景を眺めるべき場所に壁を立てて、その中に何千人、今は8000人と言われていますけど、それだけの人を集めるものをここに作るべきなのかというのが僕らの主張です。それが純粋に疑問だったりするんです。

今僕らはchange.orgという、アメリカの社会や環境に配慮した公益性の高い企業に与えられるB Corpという認証も受けているサイトで電子署名を受け付けていて、1万1千人を超える人が「ハコモノではなくていろんな人が集える街にした方がいいのではないか」という意見に対して確かにそうだと署名してくれています
これは引き続きいろんな人と対話をしていく必要があるし、体育館ありきの議論ではなくて、いろんな角度から多角的に対話を重ねていく必要があると思っています。

そこで、今回は海の玄関口でここから離島に出かけるわけですが、島の現状や島の人たちが純粋に感じていることなどをヤマシタさんにお話を伺えればと思っています。

山下:改めましてこんにちは。僕自身は鹿児島離島文化経済圏のプロデュースをしているんですけども、それ以外にもハローワークや不動産屋もない島もあったりするので、島に関わるような人材育成だったり、島の空き家対策だったりっていうのをいろんな形でやってます。

実は僕元々は京都の京都形造芸術大学(現:京都芸術大学)の環境デザイン学科というところで建築だったりとか地域計画、農村振興、漁村計画をやっていまして、京都の街中でも京町家の再生だったりとかいわゆる街づくりに関する仕事をしてきました。

とはいってもいわゆる街づくり屋ではなくて、京都の和柄の雑貨品の製造卸でお土産物を作ったりとか、木目込み人形などの伝統的な民芸品の技術を守っていくための商品を作ったりとか、そういったことをしながらそのお金で街をどう作っていくか再投資して京町を再生したりっていうことをしていました。

その中で京都の宮津っていう、日本三景の天橋立がある街の漁港とか観光地を規制を作りながらも、街の未来をどう作っていくかっていう景観制作の策定のプロジェクトに関わらせていただいていたんですけど、人の街の未来の計画作ってるのに自分の街のこと何も知らないみたいなモヤモヤがあって鹿児島に帰ってきたみたいなことがありました。

で、僕の故郷甑島なんですけど、今上甑島1816人と非常に少ない人数になりましたが、まだまだ更に人が減っていくという中で今から11年前に会社起こして、会社運営と言いつつも、気が付いたら、やっていることは集落運営だなと思いながら現在17事業を18名のスタッフと一人2役、3役担いながらやっています。

甑島以外の島でもいろんな仕事を請け負っていまして、種子島・奄美大島にもサテライトを作っている中でいろんな市町村と一緒に仕事をさせてもらうっていうこともやっています。

で、話は少しそれるんですけど、この2年半の間コロナの影響であちこち行きにくくなった中である種世界が閉ざされて、自分達の鹿児島という場所の内側をもう一度見直すという時間を過ごさせてもらったんですけど、世界中のどこで暮らしてもいい、何をしてもいい、どんな仕事についてもいい時代、長男だからとか男だからとか、後継者だから地元に帰らなければならないみたいな時代では無くなった中で、自分はどうして鹿児島に、甑島に暮らしているんだろうと、そういうことを問われている気がして、その理由を自分達で育てていくみたいなことを考えさせられている時に今回このドルフィンポート跡地の問題というのが湧き上がってきました。

鹿児島を語る上で桜島や錦江湾というのは自分達の心象風景としても心の支えであったりするものなので、すごく重大なプロジェクトが動いているなということを、(鹿児島の本土からは)ちょっと離れた島から見ていました。

実は僕にはちょっと苦い思い出があって。

これは甑島にある小さな港で、ドルフィンポートのようなでっかい計画ではないんですが、江戸時代に作られた石積みの防波堤があって、土木遺産に指定されていた港湾があったんです。
この写真の中にあるアコウの木の下にいつも漁師さんたちが集まっていて、夕涼みをするためにじいちゃんばあちゃんたちが孫の手を引っ張ってこの木の下で「どこの舟が今日は大漁だった」とか「今日は満月だからきびなごがとれないよ」とか。普段の何気ない暮らしというのがこの場所にあったんですが、実はその先にある港の再開発で埋立地を作るということで、この場所は無くなってしまいましたし、この港に人が集まるということも無くなってしまいました

そういったことをきっかけに、このドルフィンポートの計画について考えると、大きなものを作って行くということに対してのモヤモヤが自分の中にあります。

ドルフィンポートの問題は、甑島のことではないんですけど、離島文化経済圏という活動を仲間達とやって行く中で、この港の先には島の仲間たちが16万人いるんです。

離島の数で言うと長崎県が一番多いんですけど、離島に住んでいる人の数でいうと鹿児島県が日本で一番多いです。

29島あった有人離島が2つは無人になりまして、現在27の島に16万人が暮らしています。そういう中で、一つ一つの島は人口が50人くらいの島や、6万人住んでいるような島、世界遺産で世界中が注目していたり、ロケットの基地があって次の時代の産業の種みたいなものがあったりするんですけど、そういう仲間たちの挑戦というのも横串を刺してみんなで挑戦を支え合っていこうと。

どうしても離島という存在は、過去のいろんな、例えば奄美群島やトカラ列島が戦時中はアメリカ領だったり、砂糖地獄と言われるような時代があったりとかで、支援されることにある意味慣れてきた。いろんな国からの直轄のお金が入ってきたり、国防の予算が入ってきたりする中で、ちょっとでも自立していけるような、もっと先の未来を見据えて人の力を信じてパートナーシップを育てていく、そして挑戦が生まれていく海域を育てていこうということで鹿児島離島文化経済圏というものが立ち上がったというわけです。

僕は甑島なんですけど、鹿児島の仲間達と、次の鹿児島の玄関港になる場所ですので、一緒に考えていけたらと思っています。

坂口:具体的に、ドルフィンポートの前のあの埠頭から離島への行き来ってどのくらいのボリュームがあるんでしたっけ。

山下:今鹿児島県全体の島々への航路って12航路あると言われていまして、そのうち大きく分けて4航路が鹿児島港(ドルフィンポート前)から出ています。
具体的にいうと、三島村十島村、それから種子島屋久島、喜界島奄美大島や徳之島につながっていく奄美沖縄航路があります。

坂口:もうそれって、生活の道でもあるし、飛行機がない島もあるので観光客にとってもそれらの島に行く唯一の玄関口になっていたりするわけですよね。

山下:そうですね。

坂口:あのドルフィンポート近くの、名山地域などって昔から旅館とかって多いですよね。

山下:はい。名山のあたりって、三島村十島村の方もそうだし、いろんな島の方達が、内地(鹿児島市内)にきたときに定宿としている民宿や親戚と一緒に借りている家などが多いです。

坂口:そうですよね。意外とそういうことが知られていなかったり、県外の人たちにもそういう昔からある文化みたいなものって知られていないですよね。僕の高校時代の友人たちも三島村から来ている何人かはあの辺に下宿したりしていましたよ。何回か遊びに行ったりしたんだけど。そういったことがあまり可視化されていないし、観光の玄関口である、この豊かな島の文化に直接触れられる、そこから出ていける場所であるということが知られていなかったり、意識されていなかったりしますよね

古川:私は知らなかったです。

坂口:これはなんでなんだろうと、不思議に思ったりしますよね。
でね、よくよく考えると「島」という言葉自体が不思議だなと思うんですよ。だって、鹿児島も「島」でしょ、霧島も「島」、他にも徳島とか福島とかいっぱいあるじゃないですか。だから、島って、ほら昔やんちゃな子たちが「俺たちのシマ」とかって言ってたじゃないですか、あんな感じで「エリア」というニュアンスなんじゃないかなと思ったりしますね。

山下:そうですね。実際自分達も、島ってエリアとか、集落。今風にいうとコミュニティみたいな本当に木の下に人々が集まっているような意味合いで使っていますね。

坂口:そうですよね。さっきの経済圏の図の丸いエリアがいっぱいあったじゃないですか。あれが「島」ですよね。そういうことで言うと、鹿児島というシマに住んでいる人たちからすると、自分達のシマが一番大きいからあまり他のことを意識しないのかもしれないけど、いわゆる「離島」と言われる場所に住んでいる人たちはすごく意識しているわけじゃないですか。
観光の人たちにとってもあそこは大事な拠点なんだろうなと思うんですけどね。

山下:今、全部の資料はないんですけど、種子島と屋久島は鹿児島港からトッピーとフェリーが出ていて、それを合わせると船だけであの場所を1年間で86万人が利用しているんですよね。
ものすごい数の人があの場所を利用しているにも関わらず、島の人たちの声としては、アクセスが悪かったり、不便だというものがかなりありますね。
天文館に行くにもなんとなく遠く感じたり、中央駅に行くにも不便、空港に行くバスもあの辺を通っていなかったりするんです。

古川:でも、あの場所をもっと歩きたくなるような場所に整えたり、昔は鉄道が走っていたと聞いたんですがそういうものをまた整えることで、鹿児島を訪れた人たちがさらに2泊3泊増やして鹿児島全土を味わい尽くそうと思うようなことって実現できそうな気がしますよね。
今離島を目指して旅行に来た人たちが鹿児島市内や大隅半島にも足を伸ばしてみようかとか、天文館周辺に観光や食事に来た人たちが、ここからこんなに簡単に離島に行けるんだってことを気付きやすくすることで、ちょっと行ってみようかとか思ってくれたりしそうですよね。

山下:例えば鹿児島空港に降り立ったら観光案内所があるじゃないですか。新幹線で中央駅に来たらそこにも観光案内所がある。でも鹿児島の島に行こうと思って鹿児島港周辺に来ても、そういう場所がないんですよね。

船とか高速船とか行き先によっても全部バラバラで、全体の入り口になるようなゲートのようなものが今ないんです。そこにいけば島の情報が集まっていたり、島を感じさせるような場所がないのは残念だと思っています。

坂口:鹿児島空港は空の玄関口じゃないですか。中央駅は陸の玄関口。あのドルフィンポートは海の玄関口であるはずなのに、その玄関が放置されたままみたいな。そこに86万人という鹿児島市の人口よりも多い人々の行き来があるのに、その場所に対してのケアがあまりにもないということを、こうやって改めて数字を意識するとびっくりしますね。

(後半に続く)

鹿児島離島文化経済圏 ヤマシタケンタ氏|【薩摩会議】特別番外編 ドルフィンポート跡地にはハコモノではなく街を作ろう!

Posted by 薩摩リーダーシップフォーラム SELF on Saturday, September 24, 2022

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