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【SELF特別セミナー】#002「構造化思考とアート思考」

(文:SELF編集部 かつ しんいちろう)
*「鹿児島の教育 特集号 令和3年度」に寄稿したものを一部加筆修正したものです。


 現代はVUCA(ブーカ)の時代と呼ばれている。変動が激しく、不確実で複雑性に富み、さらに曖昧な世界に私たちはあるという。これまでの常識が通用しなくなり、これまで正しいとされてきたことが間違っていると言われるかもしれない時代なのだ。
 AI やロボットによって20年後までに今ある約半分の仕事がなくなるとオックスフォード大学のマイケル・オズボーン准教授が発表したのが2014年なので、すでに7年が経過している。こうした時代に未来を担う子どもたちへの教育はいかにあるべきなのか?教育現場に立つ方々ばかりでなく、子どもたちを育てる立場の大人の皆さんが悩んでいることであろうと思う。

プロジェクトマネジメントとは

 私は2007年に設置された全ての課程をインターネットで学ぶサイバー大学でプロジェクトマネジメントという科目群を教えている。プロジェクトマネジメントというのは、ある「目的」を、与えられた「資源」を使って、決められた「期限」までに達成する活動。その成功確率を高めるために様々な手法を使って段取りをしていく。とても簡単に説明するとそういうことになる。
 読者の皆さんが行っている活動は、実はすべてプロジェクトとして考えることができる。学校の目標があり、学年の目標があり、部活動の目標がある。それらに費やされる人的工数、施設、費用(資源)は限られており、学期も決まっている。
 昨今、目標を数値に落とし込むようにと言われているのは学校だけでなく、企業においても、行政機関においても同様で、達成できたかできなかったかを客観的に評価するためには数値で測られなければならない。プロジェクトマネジメントの鉄則の一つだ。

構造化思考とアート思考

 プロジェクトにおいては、上位の目的を実現するために、下位で達成のための手段へ分解して全体の整合性を図り、無駄なくやるべきことをロジカルに組み立てていく。このことを「構造化」という。そしてそのような考え方を「構造化思考」と呼んでいる。
 今回は、この「構造化思考」と、それを超えていく「アート思考」についてご紹介したい。鹿児島のこれからの教育にとってきっと重要なテーマになると私は考えているからだ。
 従来の小学校から高等学校に至る教育の大半は、知識を修得することに主眼が置かれてきた。そこに近年プログラミング教育や探究の時間が追加されてきている。プログラミング教育は、プログラムを書けるようになることを目指しているのではなく、ロジカルに考える考え方、まさに構造化思考を身につけることを目的としている。既にある課題でなく、新しい課題に出会ったときに、それを構造化して考え、課題を解決していく能力はVUCAの時代には必須となっていく。

総合的探究の時間の役割

 さらに探究の時間は、小・中学校では総合的な学習の時間、高等学校では総合的な探求の時間として編成され、各学校で活発に取り組まれている。これは与えられた課題でなく、自らが課題を発見し、教科の学びを通して考え方を深め、周囲を巻き込みながら新しい価値を創造していくという活動だ。
正解がないだけに指導側の苦労も多いと推察する。

 私は、昨年10月から地元の鹿児島県立大島北高等学校の魅力化コーディネーターを拝命し、「総合的探究の時間」のサポートを行なっている。生徒たちに、「さあ、課題を発見しよう!」と言っても簡単には「これが課題です。」とは出てこない。自分事として取り組むために、どこか遠くのことではなく、自分たちの暮らす地元のことについて見聞を広める中で、興味のある分野を定めてみて、その分野の20年後の「ありたい姿」を地元の方々と描いてみる
 こんな介護ができる地域になりたい、世界に誇れる世界自然遺産の島になるようにゴミ問題を解決したい、地域の伝統産業存続のために次の世代が継承できるようにしたいなど、様々なテーマが出てくる。じゃあ、どうやったらその課題を解決できるか?構造化思考で仮説を組み立て、実際に小さな単位でやってみる。そしてそれを評価し、改善点を探る。
 実は、こうしたことは一般の企業でも行なわれている。私が企業から経営改革のコンサルタントとして依頼を受けるのは分野やスケールは違うものの、新しい経営課題を発見し、それに挑戦することで業績を伸ばしていくという案件で、解決していくのは同じようなアプローチなのだ。したがって、この探究活動を繰り返し行うことはAIやロボットに取って代わられない将来の仕事の進め方にもつながる。
 そうした訳で探究活動を通じて教育の現場に構造化思考のトレーニングが入ってきて、まだ見ぬ課題に挑戦できる若者が増えてくるのはとても喜ばしいことだ。

構造化思考の限界を超えて

 ではそれで終わりかというと、そうではない。構造化思考でロジカルに課題を分解し解いていくと、目的は達成するのであるが、面白く無い。ワクワクしない。突拍子もないものができない。企業に置き換えて考えると、イノベーションが起きない。前と同じようなものにしかたどり着けない。
 VUCAの時代には、これまでにないアプローチで、一部の人だけがイイねと言うような解を、自分が狙いたいのはココだと信じて進むチカラも必要とされている。8割の人が納得する解は、成熟した市場では目新しさが無く注目を引かない。こうした芸術家のような考え方を「アート思考」と呼び、ビジネス界でも注目されている。
 では、このアート思考を身につけるにはどうしたらよいかというと、多くのモノを見て、多くのコトに触れ、実体験を通した感動を通して自分の感性を積み上げていくことである。

アート思考を身に着ける場としての鹿児島

 鹿児島には美しい風景がある。朝早く起き出かけて日の出をみる。魚を釣る。山を歩く。温泉に入る。海で泳ぐ。焼き物を鑑賞する。地元の美味しいものを食べる。丁寧にお茶を入れて飲む。きびなごを手で割いて食べる。あく巻きを作って食べる。
 感性を磨くのにこれほど適した地域は無い。家の中にいてスマホで動画を見ていては自分なりの感性は磨けない。「構造化思考」と「アート思考」この両方がなくては、これからますます激しく変化し、ますます面白くなる時代を乗り越えて行けない。
 私たちは、つい前例も用いながら「構造化思考」だけに傾きがちだ。子どもたちに教える前に、まず私たちが「アート思考」を身につけてみよう。前例にとらわれないと言いながらとらわれてしまう自分から変容しよう。「それイイね!」とこれまでにない発想を尊ぼう。そうすることで、鹿児島から次々と素晴らしい人材がこれからも輩出されることだろう。これまでの20年よりこれからの20年がもっと面白くなるはずだ。

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