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【かごしま選手名鑑】#012 株式会社オコソコ 蔵元恵佑さん

鹿児島市内を南の方へ1時間ほど車を走らせると、広大な茶畑に囲まれ、雄大な開門岳を臨む地域へと辿り着きます。今回は、そんなまち頴娃町で飲食やゲストハウスを運営している株式会社オコソコの代表、蔵元恵佑さん(通称クラさん)へとお話をお伺いしました!

(聞き手:たかはしくうが)

「跡継ぎのいるまち」を実現させていく仕事

株式会社オコソコは2018年に、NPO法人頴娃おこそ会の取り組みの中で、事業性のあるプロジェクトを推し進めようということで、私が代表として設立しました。頴娃おこそ会とは、2005年から活動し、「跡継ぎのいるまち」を目指すNPO法人です。非営利組織なので、事業性を持ったプロジェクトを推進するために、株式会社としてオコソコが誕生しました。

飲食事業、観光宿泊事業、空き家再生事業、プロジェクトデザイン事業の4つの事業部に分かれて、頴娃町を軸に楽しい場所づくりや、楽しいコミュニティづくりに励んでいます。鹿児島市から車で1時間かかるこのエリアに関わるきっかけや、生産者の多いこのまちで、生産者とつながることができるきっかけをつくることがお仕事です。

宿泊施設 ふたつや、や、だしとお茶の店 潮や、などを運営しているほか、観光案内や、空き家再生、地域生産者を巻き込んだプロジェクトなどを多数展開しています。

潮や、をオープンするまでの背景

元々、「塩や、」という名前で、地域のコミュニティスペースとして運営してきた場所がカフェに生まれ変わりました。南薩の出汁とお茶を楽しめるだけでなく、地元のカフェとのコラボメニューもあります。

「だしとお茶の店 潮や、」は1年ほど前にオープンしました。

飲食店をするのは、やはり大きなチャレンジでした。このメンバーで失敗したらしょうがないと思えるメンバーが集まったことも後押しに、走り始めることができました。元々、「飲食店を開こう」というビジョンはあり、2020年は1日限定のカレーショップやコーヒー屋さんをして実験をしていました。

かなり悩んだのは、名前。長い間、「塩や、」として地域の方に愛されてきた分、名前が変わることで、地域の方に覚えてもらえるかという不安もありました。

かつての塩や、

お店がある石垣地区は少し歩けば海があり、川もすぐそばにある、潮の満ち引きを感じることができる場所です。「しお」という漢字は、「潮」と「汐」があるのですが、1日の始まりを感じることができる場所であってほしい、という願いを込めて、「潮や、」と命名しました。

店内のカウンターに使う石を「クライシファンディング」と言って集めたり、工事中の木にお客さんの名前を書いてもらったりと、頴娃町に関わる多くの人と作り上げてきたんです。

ワークショップで集まったみなさんと

海外に浸かった学生時代

小学校からずっとサッカーばかりしていました。小さいころはやんちゃ坊主で、小学校中学校時代は、先生によく怒られていましたね(笑)
体育祭では一番張り切るタイプで、盛り上がっている中心メンバーです。
サッカー部では、キャプテンでも副キャプテンでもないですが、他の部員から相談されたり、それをキャプテンに伝えたりするような立ち位置でした。

大学は広島大学経済学部へ進学したんです。高校時代の恩師が広島大学だったこともあり、ちゃんとしたとこに行きたかった。大学でもあまり授業には出ずに笑、フットサル部の創立メンバーとして、副キャプテンを務めていました。

就活中は、総合商社の商社マンに憧れていました。就活中に出会った憧れている人が共通して留学していたので、フィリピンやカナダに留学して、東南アジアをバックパッカーとして旅にも行きました。
フィリピンでは、本当はダメですが、スラム街に遊びに行ったり、現地のNGO活動に参加してネットワークを広げたりと、とにかく現地の人に成り切ろうと思っていろいろしていました

一度、タクシーにぼったくられたり、危ない目に遭ったりもしましたが笑、就活で話せるネタづくりだと思って、いろいろやっていました。特に自分の持つスキルはなかったので、「面接官に行動力がある面白いやつだ」と思われたくて、いろいろなエピソードを持っていますよ。笑

鹿児島らしい仕事をしたくて、協力隊へ

大学卒業後はニトリに勤めました。海外に行けるチャンスが社内にありましたし、大企業に行きたい、という思いもあったんです。店舗運営に配属されて、接客や店舗のマネジメント、人事的な役割を担っていました。

ただ、もっと鹿児島らしい仕事がしたくなったんです。「鹿児島らしい仕事」というのは、いろいろな意味が包括されているのですが、まずは、本質的に、自分が良いと思えるものを全部話せるようになりたかったんです。ニトリは商品数が膨大なので、機能などは伝えることはできますが、もっと本質的な良さというものを実体験で伝えられないもどかしさがありました。

サラリーマンを辞める一番の後押しは、ニトリ時代に出会った甑島のヤマシタケンタさんなんです。天文館にあったケンタストアで初めて会って、こんな人が鹿児島にいるのかと、衝撃を受けました。鹿児島がイヤで出たけど、すごい人は鹿児島にもたくさんいることにその頃気付きました。

そういうこともあって、もっと鹿児島に根差した仕事を探していて、頴娃町に辿り着いたんです。ですが、実は協力隊だから応募した、というわけではありませんでした。頴娃おこそ会の観光コーディネーターという役職で募集があって、応募してから、地域おこし協力隊という枠組みだと知りました。別にだからダメ、というわけでもなかったですし、最後は勢いで、応募しましたね

楽しい居場所をつくり続けたい

日本の人口減少とか、例えば南九州市にゆかりのある話ですとお茶の消費量が下がっているとか、マイナス要因は上げたらキリがない社会になっています。そういうものが解消された社会は待っていてもやってこないから、やりたいことは自分たちで実現していくしかない。そして、やるなら楽しい方が絶対にいい。どうやってやろうかっていうのを考えるのがオコソコなんです。

私が頴娃町にいつまで居続けることができるかは分からないけど、居続けられるように、たくさんの楽しい居場所を作りたいと思っています。

頴娃町にあるものは少ないけど、それはどの地域も同じ。ないものは自分たちで作れば良いと思っていて、そこに飛び込んで、やってみるのは、私の役割。誰かが割って入っていかないと突破できない。楽しい場所をつくっている側でありたい

あと、自分は得意なことはあんまりないって感じています。お店の開業準備も、お金を借りるのと、あらゆる人に「ごめんなさい」をするのが役割です。笑


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