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薩摩会議〜散逸構造論的コミュニティ論

(レポート:坂口修一郎)

薩摩会議〜散逸構造論的コミュニティ論

怒涛のうちに駆け抜けた薩摩会議。薩摩会議の会場では、全国から集まった多様なゲストがいろんな地域での活動してきたことが、それぞれのテーマを超えて共鳴しあっていました。各セッションでハモったりぶつかったりしながら会場を巻き込んでいく感じは、音楽のジャムセッションのような化学変化を起こしていた。それが3日の間17もある、まさにフェス状態。冒頭のエアギターと最後の桜島バンザイも象徴的でした。

150年前の日本の近代革命は現代の暮らしにいろんな面で影響を与えている。同じようにいまの僕らの行動は5代先の150年後にかならず影響を及ぼしてしまうはずです

制度疲労を起こしているこれまでの150年を前向きに手放してこれからの150年を考えよう。薩摩会議はこの命題に沿って多様な17のテーマはすべて「トランスフォーメーション=不可逆的な変容」という共通の切り口で考えるということ。一期一会のアイデアを大切にするため「いま、ここ」に集中し、アーカイブはしない。SELFの合宿で話し合ったこの設計が功を奏して、どのセッションも本当に刺激的で面白かった。

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僕が担当したセッションは、「コミュニティ」について。社会生活の中で誰もが関わっていて、それについて語っているけれど、明確に捉えづらい雲のような「人々のひとまとまりのつながり=コミュニティ」と、それを未来に向けて変容させるにはどう考えていけば良いのかということを、福島の会津で活動している藤井さんと話し合いました。

最初に、この曖昧模糊とした人々の繋がりにつけられたレッテルとしての「コミュニティ」という言葉の定義について社会学などの枠の中で歴史的に考えられてきた議論について目線合わせ。その後にコミュニティやプロジェクトが立ち上がり持続する時のメカニズムを、散逸構造論的に説明するという藤井さんが見出した論を紹介してもらい、そこから一緒にビジョナリーな新しいコミュニティの在り方などを会場のみなさんにも考えてもらいながら話し合うという形でセッションを進めました。

安定して持続するコミュニティの状態を散逸構造的なものとして捉え、それを「一番美味しい状態の味噌汁」という秀逸なたとえで説明する藤井さんのコミュニティ論は、腹落ち感ハンパなく(例えが味噌汁だけに)何度聞いても本当に面白い

少しかいつまんでして紹介すると、カオスな状態(味噌と出しが溶け合っている状態)の中から適度な熱量と対流の運動がバランスすると安定した構造(味噌と出汁がじわじわと作る模様)が出現する。この美味しそうな味噌汁のような状態こそがコミュニティの構造だ、というものです。普通はエントロピー増大の法則のように、形あるものは崩れカオスに向かうと考えられていますが、ある一定の条件が揃うとカオスな状態から構造が立ち会われてくる。これが熱力学でいうところの散逸構造論なんですが、このメカニズムは人の間にあるコミュニティにも援用できる!

僕は始めてこの話しを聞いた時、改めてコミュニティというのは人の営みである以上、スタティックな構造物ではなくて、対流し動き続ける運動体という形の構造なんだと認識しなおしました。人ありきのその運動体は簡単に設計して構造化できるようなものじゃない。先に構造化をしてしまうやり方の最たるものが所謂「箱モノ」だし、組織図のようなルールばかりを先に作ってしまうのも熱のないコミュニティに顕著な状態でもある。

そこからもっと会場からの声も拾いながら考えを進めました。たしかに対流を生み出すには温度差と熱量は必須の条件。しかしそれが高すぎてもうまくいかなかったりする。熱量が高くコミュニティの結束が強すぎると、構成メンバーが苦しくなったりして持続性が失われてしまうこともあるんじゃないか。

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コミュニティの輪郭が明確なのは大事なことではあるけど、熱の高さは方向性を間違えると分断を生みかねない。イン/アウトがルール化するという本末転倒の状況から排他性が生まれるとこれも結果的にはコミュニティが形骸化することにもなる。内部に全く分断のないコミュニティとは一見良いように思うけど、それが度を越すと独裁やカルトにもつながってしまうから危険でもある。分断ではなく、それを温度差だとポジティブに捉えることは、ある意味コミュニティを活性化させるエンジンになりうるかもしれない。

一見古くからある自治会や会社のような義務的で、形骸化しがちな地縁型(レガシー型)のように見えるコミュニティも、SNSのような価値観の共有で連帯する自由で風通しの良い運動体(ビジョン型)にトランスフォームすることは不可能ではないと思う。そのビジョンは必ずしも明文化されていたりルール化されているわけでもなく、コミュニティに共有されている言語化できない「場の感覚」や「雰囲気」的なゆるいものもあり得る。いや、むしろその「ゆるさ」こそが重要だとも思う。輪郭が曖昧だからこそ出入りが自由で、自由が認められた場はひとりひとりが活性化して活動できるのではないか。そのゆるさに心理的安全性も担保され、さらに個人が能力を発揮しやすい場になるのではないか。

この「場の感覚」をコミュニティで共有するにはどうしたらいいのか。それこそ言語化できない領域を扱うアートの出番なのかもしれません。アートというと少し語弊があるかもしれないけれど、コミュニティの「ハレ」の日の祭りの装飾だったり、にぎやかな音楽だったり踊りだったり美味しい食だったり、、、一見暮らしに必要不可欠なものではないとされるようなもの。でもそれこそが伝統的にコミュニティに熱を与える機能と役割を担ってきた。現代の僕たちにとって、「フェス」と呼ばれる新しいカタチの祭りが求められるのは、その機能を現代的にアップデートしているところに理由があるのだと思います

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コミュニティに温度差と対流を生み出す装置としてのフェスティバル。最初に僕が鹿児島でグッドネイバーズ・ジャンボリーというフェスティバルを始めた時は、それこそ無我夢中の無意識で突っ走って来ただけでそこまでの射程は意識していなかった。でも年に1度のフェスティバルに向けて対流を起こし、12年以上も継続する中で多くの人たちとの共有体験を重ねた結果いつの間にか自律的に活性化し、持続するコミュニティがたち現れていたのでした。そしてこのコミュニティをベースに今ではいくつものコミュニティとつながり、それが仕事になり楽しく暮らしている。

90分という限られた時間でしたが、薩摩会議の「コミュニティセッション」では改めて会津でさまざまな活動をしてきた藤井さんの体験も踏まえ、会場のみんなとの対話を通じてコミュニティについて考える濃い時間を過ごすことができました。

そもそも薩摩と会津は150年前にたいへんな因縁がある。明治維新による分断によって会津は薩摩と戦い叩かれた側。ただ、会津で活動しているからという理由で藤井さんに来てもらったのではなくて、とにかく彼の理論が面白いからいつかなにかできたらなと僕が思っていたところからの今回の声かけでした。とはいえ、150年というテーマもあったのでセッションの最後に薩摩と会津の歴史に少しだけ触れ、ちょっとした洒落で和解の握手をしようと立ち上がった時、藤井さんが上着を脱ぐと中には「さすけねえ」(会津弁で問題ないよ!)と書かれたTシャツが!これは僕も知らなかった打ち合わせなしのサプライズ。その瞬間、明治維新の負の部分をちょっとだけトランスフォームできた気がしました。

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 今回の薩摩会議での僕の役割は鹿児島やこのイベントに集まった人たちに藤井さんを紹介できたことで90%以上達成できたかな(笑)


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