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『忘れないように』の裏話② 天使について

人生で初めて限りなく死に近づいたのは、16か17歳の時、学校の旅行で初めてローマを訪れた時です。
(※当時は300ユーロくらいでヨーロッパの大都市をめぐる一週間旅行ができていたのです。移動は大型バスで、宿泊は各都市のホステルでした。バスは夜中も走っていたので走行中に睡眠を取る場合もありました。今もこのような旅行ができるかどうか分かりません。)

すでに帰る途中だったのですが、朝フランスのリヨンを出発して、昼間にどこかでまた数時間過ごしてからローマに到着したのは夜中でした。ホステルにチェックインして少しだけ休んだ後、朝っぱらからローマ観光に行くという流れでした。ローマでは一日だけ過ごせるということで、参加者それぞれの興味関心によっていくつかのグループに分かれていました。コロセウムとその周辺を見に行きたい人もいれば、美術館に行きたい人もいて、パンテオンを見に行きたい人もいました。自分はなぜかバチカン美術館とシスティーナ礼拝堂、そしてサンピエトロ大聖堂に行くグループにいました。

時は8月の半ば頃で、ローマでもっとも暑い時期です。昼頃の気温は40℃にもなるとは聞いていたものの、それはどういうことかが分かりませんでした。(※地元の街では真夏でも気温が30℃を越えることはめったにありませんでした。)

帽子をかぶるとかサングラスをかけるとかはローマ住民たちのおしゃれだと思い込んで、それで気温の感覚が変わるとは思わなかったので「暑さ対策」と呼べるものはもちろん何もしていませんでした。「熱中症」という概念を初めて知ったのはずいぶん後になってからです。ローマに行く前に人は暑さのせいで気分が悪くなることがあるとは知りませんでした。

あの日、それまでに一度も体験したことがなかった行列と人込みを辛抱強く耐えてから午前中になんとかサンピエトロ大聖堂を訪れました。やっと外へ出られた時、しばらく大聖堂の前の広場で写真を撮ったりしていました。素晴らしい晴天に恵まれていました! 街の賑わいと周りの建物の美しさに心を奪われて、眩しい日差しに照らされながらあらゆる角度から写真を撮り続けていました。

しばらくすると噴水の近くの日陰のところで休憩していた同級生たちと合流しました。どういうわけか、みんなの顔を見るとその輪郭に後光が輝いているような気がしました。一瞬、その感覚はただいま聖なる場所を訪れたためのご利益ではないかと思いました。なんという恵みかと、心の中で大きな喜びを感じました。しかし同級生と言葉を交わす前に、突然とても眠くなりました。ここでちょっと休みます、というようなことを言ってそのままアスファルトに座って眠りに落ちました。(笑)

その後に起きたことはうろ覚えですが、水を飲まされてもまだとてつもなく眠いので、午後の観光をあきらめてホステルに戻ることにしました。泊まっていたホステルはたまたますぐ近くにあったので、同級生に支えられて部屋に戻りました。眩暈がしていてとても気分が悪かったので「少し寝たら元気になるよ」という言い訳を同級生が信じてひとりにしてくれたのがありがたかったです。ただただ横たわって眠りたかったのです。部屋に扇風機がなく、息ができないくらい暑かったです。心像がひどく速いペースで脈を打っていて、自分に何が起きているかと思いながら不安になったのを覚えています。いつの間にかまた眠りに落ちました。

数秒だけ目を半開きして、部屋が異様に暗いことに気づきました。ただ、なぜか開けっ放しになっていたドアの向こうには外の廊下がとても明るく見えました。空気が揺れていました。まるで見えないものが透明な何かを揺らしていて私に風を送っているかのようでした。羽ばたく翼から来るような優しい風でした。

それはきっと自分の守護天使に違いないと感じました。とても穏やかな気持ちになってまた深い眠りに落ちました。目が覚めた時、空が淡い色に染まる日の出前の時間でした。周りには同じ部屋をシェアしていた同級生たちがぐっすりと眠っていました。朝になっていくのをぼんやりと見続けたのを覚えています。

覚えているかぎり守護天使にもっともご迷惑をおかけしたのはあの時ですが、自分の知らないところで多分何回も手を焼いているのではないかと思います。

先日文学金魚で公開された『忘れないように』の中の一つのシーンがこの体験にもとづいています。

天使たちは身近だと思われながら謎に包まれた存在で、ヨーロッパ(だけではなく、かなり広い範囲の)文化のあらゆるところに登場します。文学や哲学からポップカルチャーまで、わざわざ探さなくてもわりとよく天使に出会えます。例を一つだけあげると「Der Himmel über Berlin」というドイツの有名な映画がありますが、それをもとに「City of Angels」というアメリカの映画が作られ、両方とも素晴らしい映画です!

肉眼で見えるものが存在の一割くらいに当たるのだととすれば、見えないものの世界は天使たちが住み、行き来をしているところだという無言の了解を、多くの人が意識下に持っているのではないかと思います。天使が与えるような無条件の愛と安らぎもそこにあると、私たちが無意識的に期待しているのではないかと思います。それでいつも見えない世界に想像を巡らせているのです。

『忘れないように』を読んでくださった方、ありがとうございます。
未読の方は、よろしければ下記のリンクからどうぞ。よろしくお願いします。

『忘れないように』前編
『忘れないように』後編

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