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『蓮・十二時』の裏話 その② 物語はどのようにして生まれるのか?

何気なく思い浮かんだシーン、たまたま耳にした会話、一言ではうまく定義できない気持ちなど、これらはすべて物語の種になり得ます。

小説家として活動されている方のお話を聞くと、着想のプロセスは人それぞれです。最初から最後まで内容と流れがはっきり見えているのなら執筆に取りかかる作家もいれば、思いついた物語の種を信じて書きはじめるが、着地点が途中で見えてくるという作家もいます。

想定している小説の長さにもよります。長編の場合は、出来事の流れをある程度把握した上で構造的に進まないと難しいように思えます。それに比べて短編のほうでは実験の余地はあります。とは言え、物語の内容と着地がはっきり見えているもののほうが確実に書きやすいです。

自分は今のところ短編小説を書いています。ジャンルやテーマを定めず、思いついた物語の種でまとまった小説が書けそうなら、基本的に何でも書いてみます。

この創作方針を何かに譬えるなら、まるでどこかからもらった土地で自分の庭が作りたくて、ここにもっとも合いそうな植物は何なのかを探っているような段階です。欄の花専門の庭にしたいと思っても、この土地が欄を育てるには相応しくないと明らかになるかもしれません。チューリップとか薔薇とかコスモスなど、この庭で健やかに育てる植物が他にあるかもしれません。そのために今色々試しているわけです。短編小説は、自分の得意なテーマを探るにはとても良い手段です。

連作小説『蓮』の着想は、実は5年前に起きたものです。2017年の6月頃、ある日電車に乗って車窓の外の風景をぼんやりと見ていました。突然、人生のどん底にいたどうしもない大人を、一人の子どもが励まそうとしているシーンが思い浮かびました。

当時はそのイメージがどうして思いついたか、どこから来たのかも分かりませんでした。思えば思うほど、そのイメージに関連があるようなシーンが次々と思い浮かび、これが一つの物語の種だと分かりました。

しかし当時の自分には、この物語が書ける自信はありませんでした。そもそも小説を書いたことがなかったからです。

その頃は『少女と銀狐』というルーマニアの児童小説の和訳に取りかかったばかりで、創作をはじめる予定はありませんでした。母国に住んでいた頃は短編小説を書いていた時期があり、書いたものを文芸サークルで読んで、講師やほかの参加者からフィードバックを受けていました。ただ、書きはじめていたものの、物語を一個も完成させた覚えはありません。(笑)外部活動として行っていた仕事でエッセイやインタビューを求められることが多く、なんとなくこちらに専念していました。

物語を書きたいと思わせてくれたのは、連作小説『蓮』の種となった5年前の着想です。しかしテーマはまだ見えず、断片的なシーンが思い浮かぶ具合だったので、すぐに書けるものではないことだけは分かっていました。

それで、この物語が自分の中でしばらく成長するまで頭の片隅に置いておき、もう少し書きやすいものから書いてみようと思いました。2017年末頃には、テーマや内容がある程度見えていた物語の種がほかにもいくつか集まってきていました。それで『時空堂』や『朝顔』などが生まれてきました。『思い出の谷』が出た頃には、まとまりのある小説が書けるようになったという自信が付いていました。(笑)

このような背景があって、ある意味では、今まで書いてきた短編は、連作小説『蓮』を書くための準備でした。

それにしても、断片的なシーンから始まっていた『蓮』の内容と流れがだんだん見えてきていたものの、執筆過程は大変でした。初稿の問題点を見抜き、フィードバックとともにリライトの必要性を指摘してくださった文学金魚の編集スタッフに心から感謝しています。

『蓮』の土台となっている世界観を短編小説一つでは表現しきれないことに気づいたのは、編集の段階でした。ありがたいことに連作小説、つまり短編小説シリーズにするチャンスを与えられました。『蓮・十二時』の続きをはじめ、これからの物語も楽しみにしていただければ嬉しいです。


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