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愛してるなんてとても言えない

「愛」はずっと受け入れ難いものだった。

物語やドラマ、漫画のなかで使われる「愛している」という言葉は、絵空事なので若干引っかかるがまあ良し、と私の心は判断していたようだが、他人様が「愛」を語りだすと、ものすごい違和感に襲われた。気持ちが悪かったと言ってもいい。

小賢しい頭で、愛って中国から伝わった漢字らしいし、日本なら恋とか、仲良くなるとか、そんな表現でもいいじゃないかと、なんとか「愛」を認めない理屈を立てようとしていた。

・・・

それでも、あまりにも世の中には「愛」が溢れているし、みんな何の疑問も持っていないように見えた。「愛」。私も少しは理解する努力をすべきなんだろうか。少し躊躇したが荘厳に愛を語らっているサイトの掲示板に、「愛ってよくわかりません」と素直に書き込んでみた。

結果は推して知るべし。
あなたは本当の愛がわかっていないだの、いつか心から愛する人が出来たらわかりますだの、まあ、総攻撃を受けた。私の問い方も問題が大アリだから、単にケチを付けただけに思われたのだろう。
それでも、何人かは丁寧に「愛」を説明してくれたが、当時の私には全く響かなかった。

・・・

今は、、わかるの「かも」しれない。
ただ、声高に愛しているだの、愛が全てという言葉は静かに受け流させてもらう。
心の奥の奥にある鍵をかけた場所で、ひっそりと自分だけの薔薇を隠している感じだ。いやその薔薇もほんとにそこにあるのか、無理やり言葉にしてみただけか。

まあ、そんな風にして、今はやっと愛を受け入れることが出来た、としておこう。自分なりに形を加工しているが。
とっくにみんな知ってたのかな。あれも、これも、なんでも私は遅い。