日本に批判と批評の文化が無くなる日
昨日12月9日衆院憲法審査会与党協議に日本維新の会と国民民主党が参加した。
2019年に国民と維新は参院で統一会派を組んだが先の衆院選後もその接近ぶりは更に進んでいる。
維新の馬場幹事長は「憲法改正はこれから非常に重要になってくるから立憲さんにはその辺を理解してもらいやらないのであれば立憲主義を標榜するのをやめろ」と発言し、更には国民民主党の玉木代表は「議論をするな、という勢力とは一線を画す」と発言した。
しかしここで彼らが大きく勘違いしているのは憲法改正に前向きじゃなければ立憲主義を名乗るな、と言っている事だ。立憲主義とは政治権力が憲法によって実質的に制限されなければならない、という政治理念であり、それは99条の精神に則っている。
99条は天皇または摂政、国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員はこの憲法を尊重し擁護する義務を負う、とある。
ところが今憲法を変えたがっている勢力はこの99条を守らないどころか、現行の憲法を完全否定するところからスタートしている。その証拠に安倍内閣からの自民党は手始めに96条の改正から手をつけようとし、それが叶わないとなると半ば裏口入学的に集団的自衛権の閣議決定をしたり、特定秘密保護法を強行採決したりした。つまりは憲法を尊重していない連中が21条にある知る権利と9条の中身をほねぬきにしてしまった、と言っても過言ではない。要はそんな与党と一緒に憲法改正の為のテーブルにつくということは一言でいえば犯罪の片棒を担ぐということだ。従って立憲民主党はやすやすとそのテーブルに乗る必要はない。
しかしその立憲も立憲で泉健太代表になると連合や大新聞などから突っつかれていた共産党との関係を見直す発言をし、その第一段として野党国対委員長会談を今後開催しない事を発表した。
さらに代表選の時は泉候補、果ては小川候補(当時)は共産党との関係で失ったものがあるか?との問いにイエスと答えた。それもあろうことか立憲はじめ野党にだけ厳しいフジサンケイグループの番組での発言でこれは彼らに攻撃の材料をただで提供したことに他ならない。
「野党は批判ばかり」というまるで批判=悪という図式が成り立ってしまっているが、世の中に批評という文化が無くなった頃から批判することをよし、としない勢力が台頭してしまった。そんな連中の揺さぶりに乗ってしまったら日本からあらゆる文化が死んで消えてしまうだろう。