労働者としての損益分岐点の話
木暮太一さんの「働き方の損益分岐点」を読んで1労働者としてどんなことに気をつけて仕事を選んで行かなきゃいけないのか考えてみた。
労働者は自分の時間を提供する人たちなので、コストはかかっていないと思ってしまいがちだが、働くことで疲れたり、怒ったり、悲しんだりすることもコストとしてカウントすべき。
例えばお客さんを怒らせてしまってすごくたくさん頭を下げたことがあったとする。その日はすごく疲れを感じて夕食を作れず外で一杯したりとか、家に帰っても仕事のことが頭から離れずにずっとモヤモヤした気持ちで次の朝を迎えるみたいなことは割とあることだと思う。
資本主義における賃金はそういった労働の平均的な再生産コストによって決まっているというのが筆者の主張。言い換えると、明日も今日と同じように仕事ができる状態になるために必要なコストが賃金となっているということ。
職能が何か変化したわけじゃないのに扶養家族が増えたら家族手当が支給されるとか、最近ではちょっと様子が変わってきているが、基本大卒の初任給が横並びなのもそういう理由。
転職市場では一般的な話だそうだが、転職者の7割ほどは転職後も前職の年収とほとんど変わらないそうだ。この辺も「賃金は労働の平均的な再生産コストである」という主張と矛盾はしない。
本書で最も印象に残った部分は、「労働者も損益分岐点を意識して仕事を選ぶべき」というメッセージ。言い換えると手元に入ってくるお金じゃなくて、感情や肉体的コストも差し引いた手元に残るリソースで判断すべきということ。
単純に給料がいい仕事はたくさんあるけど、それなりに給料が高い理由があったりとか、収支マイナスになる仕事もたくさんありそう。
労働者として意識すべきなのは、自分がその仕事の平均的な再生産コストに対してコストをかけずに仕事ができるのか、つまり手元に多くのリソースを残せるのかというところ。あくまで賃金は「平均的な」コストに対して払われるので人よりも容易にできる仕事を見つけたほうが得。
個人的には最近フリーランスとかYoutuberとかが一般的になってきているように、リスクというのも賃金を決める一つの側面だろうなとは思う。
不景気の時に露骨に仕事が減ったりとか、露出することでトラブルに巻き込まれるリスクを許容することで多額の収益が支払われるというのも傾向としてあるなあと。
投資とも似ているとことがあると思うけど、生活の最低ラインを守るために本業を会社員において、副業としてより高単価で多少リスクのある何かにおくという働き方がより一般的になってくる気がする。日本人のリスク許容度は特に低いと思うので、ストレスと報酬のバランスが良さそう。
木暮太一さんの「働き方の損益分岐点」
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