見出し画像

関友美の連載コラム「数々の歴史人たちに愛されてきた日本酒」(リカーズ3月号)

 渋沢栄一を題材にした大河ドラマにハマって、昨年は珍しく毎週欠かさずテレビにかじりついたものでした。ちょんまげを結っていた農家の渋沢青年は、攘夷派の志士として横浜焼き討ちなどを企てていたにも関わらず一転。平岡円四郎との出会いを機に考えを改め、徳川慶喜に仕えます。やがて明治政府では官僚を務め、退官後は500社の経営に携わり、「日本資本主義の父」と呼ばれるようになります。あらすじを教科書で習ったことがあっても、それはすでに“偉人としての渋沢栄一”でした。しかし画面の内に観る、大きな志を持ちながらも試行錯誤し徐々に成り上がる姿は、渋沢をはじめ徳川慶喜、井上馨、大隈重信など歴史上の人物もわたしたちと同じ生身の人間であり、笑ったり泣いたり苦悩したりして暮らしていたのだな、と思いを馳せることができます。明治4年に郵便ができ、明治 6年に銀行ができ、明治11年に商工会議所や証券取引所ができ・・・江戸時代から明治、大正、昭和と時代を駆け抜け、現代に近づいていく様にもドキドキしました。今では当たり前になっている、不可欠な様々なものが形作られた時代でした。

 もちろん当時の生活にもお酒はつきものです。新選組の面々はとりわけ酒好きだったようで、近藤勇や土方歳三は上戸で、浪士隊志願前も鯨飲していたそう。1868年、鳥羽・伏見の戦いで陣取っていた跡地から京都にある「月桂冠」の前身である「笠置屋」の徳利が発掘されおり、出陣前の景気づけに飲んだとされています。また戦いに敗れ江戸に戻ったその足で、新選組みんなで色街に飲みに繰り出したという仰天話も。そんな新選組が仕えた会津藩主・松平容保や、徳川慶喜が愛飲したのは福島県の「末廣」。蔵には徳川慶喜、松平容保、野口英世などから当主にあてた直筆の書状が残されていて、親交の深さがうかがえます。渋沢栄一は付き合い程度の酒飲みだったと聞きますが、生涯慕っていた慶喜に伴い「末廣」を飲んだのかもしれません。日本盛がつくる「惣花」もまた評判で、大の酒好きで知られる幕末の土佐藩主・山内容堂や、こちらも無類の酒好きで有名な明治天皇から愛されていました。今でも「惣花」は購入して飲むことができます。

遠い出来事のように思える維新や建国の歴史も、かつて彼らが飲んだのと同じ酒を飲みながら考えることで身近な存在として感じることができるかもしれません。加えていくつもの時代を乗り越え、美味しい酒を届け続けてくれる酒蔵さんたちには感謝の想いでいっぱいです。

以上

庄司酒店発刊「リカーズ」連載日本酒コラム
関友美の「そうだ。日本酒を飲もう。」3月号より

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?