沈黙は生命の輪郭を歌う -シメジシミュレーション-
はじめに
幼い頃より、詩というものが好きだった。通った小学校の図書室には窓際の小さなスペースに詩のコーナーが設けられていたが、そんな片隅の本棚を定期的に訪れていた。手に取った詩集としてよく憶えているのは宮沢賢治のものだ。有名な詩人だったのもあるが、細部を理解せずとも幻想的な世界観を楽しむことができるのが大きかったように思う。言葉の扱いの定まりきらない小学生の時分においては、各々の表現や着眼点に注意を向けることは難しく、詩とは理解しないままに漠然と触れるものだった。
時は飛んで大学入学後、コロナ禍であり余る時間を消費するため様々な作品に触れる過程で、一つの漫画作品に出会った。シリーズものの漫画に触れた経験が少なく、苦手意識すら抱えていた自分でも違和感なく受け入れることのできた作品。今思うに、その漫画作品がコマいっぱいに湛えていたのは、幼少のころ感じたものと同じ詩美であった。
シメジシミュレーション
「シメジシミュレーション」は、つくみずによる漫画作品である。コミックキューンにおいて2019年3月号から2024年1月号まで連載され、単行本としては全5巻で完結している。
中学時代を引きこもりとして過ごした少女 月島しじまが、高校に入学し新たな日々を送っていくという物語で、基本的には主人公であるしじまとその友人であるまじめ(山下まじめ、主人公のことをしめじちゃんと呼ぶ)の掛け合いが描かれる。
特徴的なのは、シュールな世界観と低体温な進行である。彼女らの暮らす町では不思議な現象が相次いでおり、今まで無かったオブジェがいきなり出現したり、夏の日に突然雪が降ったりする。登場人物についても、しじまの頭にはシメジが生えている(後天性)し、まじめの頭には目玉焼きが乗っている(先天性)。しかしそんな世界においても彼女たちはのほほんと日々を過ごしており、その雰囲気が癖になる。
一方で町におきる不思議には原因があることが示唆されるなど、設定的な暗喩も散りばめられており、しじまのモノローグと併せて心地よい。多くを語らず匂わせるに留める作調には詩美が宿っている。
形の詩
さて詩美といえば、作中に以下のようなコマがある。
しじまの所属する穴掘り部の3年生よみかわ先輩の台詞だが、彼女は詩の原型をカオスの中から生まれた音の遊びではないかと考察する。この後彼女は詩の魅力として静けさを挙げるが、曰く音の遊びに起源をもつ詩は意味の側面で沈黙しているとのことだ。
このシーンを読んだとき、すとんと胸に落ちる部分があった。つまり、本作のシュールな世界観はいわば形の詩なのだ。言葉による詩が意味的な必然性を持たず単なる音の遊びであるように、本作に描かれる形に必然性はなく単なる遊びであるのだ。地球をトーラスにするべく穴を掘る穴掘り部、驚いたとき感嘆符の代わりに出てくるアスパラ、天使の輪としての目玉焼き、、、世界観の漠然とした詩美には、描かれる形の意味的な沈黙が寄与している。
ただ本作にメッセージ性が全くないかと問われれば、そんなことはないはずだ。原始的な詩のような一面とともに、明確なテーマの存在も窺える。特に後半はテーマ表現の比重が大きいと言えよう。詩の一面とこれらのテーマ表現は本来不可分なものだが、作品の解釈整理のためここからは敢えてテーマのみに絞り考えてみたい。
生命の輪郭
前述のように、本作を考えるうえでは '形' がキーワードとなるが、これに関連して、作者のつくみず氏はあとがきでこう述べている。
生き物の従属する構造、これは生命の形とも言い換えられるが、つまるところ外界と自己を隔てる膜構造である。様々な物質が混沌とする原初の地球において、より小さな空間に反応系を確立することで、我々生命は誕生した。外界と隔たれたこの小さな空間は、細胞として現在においても全ての生命の基本単位である。ではこの生命の輪郭とも言うべき膜構造を、物質的な側面ではなく意識的な側面に適用してみたらどうだろうか。情報の混沌の中で自我を確立する我々の輪郭は、他者によって縁取られているのではないだろうか。しじまとまじめ、二人の少女の関わり合いをシュールに描く本作は、生命の物質的な誕生に関わる基本構造を意識的な誕生にも適用することで、生命の輪郭の表現をテーマとして掲げているのである。
おわりに
シミュレーションという単語自体は日常生活でも耳にするものだが、より厳密な意味については曖昧なままだった。改めて調べてみると、特定の現象を模擬的に再現すること、だという。また、実世界の複雑な環境で起こり得る現象をシミュレーションで再現するためには、状況のモデル化が必要だとのことだ。状況のモデル化、つまりは本質を抽出することと思うが、本作の描いたテーマは生命のモデル化と言えるかもしれない。複雑で様々な解釈が可能な対象である生命について、その本質的な構造を抽出し、形の詩に接続する。意味的な沈黙をその根幹に携える本作の詩美は、漠然とした遊びでありながら、しかしその先で生命の輪郭を確かに歌ってもいるのである。
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