自分の履歴書⑪ 子会社に飛ばされる
この記事は子会社に出向して過ごした一年の記事です。
ダメな烙印を押された社員が辿り着くところ
子会社に出向となり、心機一転がんばろうと思いました。しかし、配属早々にメンバーから「親会社で何かやらかしたの? やらかした社員はみんなうちの部署来てそのまま退職していくのよね〜」と教えられました。それはもう自主退職してください、ということだったのかもしれません。
落ち込むどころか、もう煮るなり焼くなり好きにしてくれ、と開放された気持ちになりました。ここまで来たら失うものはない。もうどうとでもなれば良いと。
みんなが助け合う理想的な職場
仕事の内容は大量のバナーを作ることと、ランディングページ(集客用のページ)の制作で、UIやUXというよりは純粋なグラフィックデザインが肝となる仕事でした。ここ数年、UIで頭をひねり続けていたので、右脳全開のデザイン作業がだんだん楽しくなってきました。
私には信用もなく失うものが何もないので、何でもやろうと思っていました。とてつもない仕事量だったので、中国滞在時にもお世話になった制作会社を紹介し、外注していくらか負荷を軽減できるよう働きかけました。安価で発注してしまったものの快く引き受けてくれました。このようにして違った立場で過去の制作会社と関係を持てるのが嬉しくもありました。
慢性的なリソース不足の組織では、誰かが集中的に怒られたり、誰かの足を引っ張ったり、社内政治が勃発することなく、みんな必死で助け合いながら仕事をしていました。忙しいながらも理想的な職場だと思いました。日々忙しく過ごす中で、自主退職という思いは自然と消えていました。
許せない子会社への冷遇
同僚と話していて驚いたのが、待遇が親会社と比べてかなり差別があることでした。当然ながらそれを納得した上で入社している訳ですから、不満を持つのはおかしな話です。しかし、この部署に舞い込んでくる仕事は、親会社でグチャグチャになってしまった案件の後処理も多かったのです。親会社のひどい案件を食っているのに待遇が不平等なことに怒りを感じました。
自分を捨てた親会社がますます嫌になりました。表向きは優雅に仕事をしていても裏では不良債権を誰かに押し付けているのです。
親会社からのお誘い
そんな嫌でたまらない親会社から戻ってこないかというお誘いが来ました。親会社で一緒に仕事をしていた先輩からです。当時散々な思いをしていた自分を、理不尽だと思ってくれていたのです。それを聞いた時、本当に嬉しくて救われた気持ちになりました。
一方で今の子会社での日々は充実していましたし、何よりメンバーみんなと毎日会う事が楽しかったのです。親会社では私を飛ばした上司はさらに昇格していました。どうせまた嫌な思いをするだけだろう、と思っていましたが先輩は全力でカバーしてくれると言ってくれました。
私の仕事は社会の役に立っているのか
仮に戻った場合、私のミッションはとある移動交通に関わるアプリのリニューアルでした。正直興味が持てませんでした。移動交通関連のサービスをいろいろと漠然と見ていても、使い勝手もデザインもあまりにイマイチなものだらけでした。こんな分野には関わりたくないと。
いや、、ちょっと待てよ。こんなイマイチなサービスしかないから、日本の移動は発達している割に不便に感じることが多いのだと。移動交通の分野ならむしろ私のような三流デザイナーでも、デザインのチカラで移動を楽しく快適にできるかもしれない。そう思いました。
今までは、目の前の作業をひたすらやる。仕事を通じて自己実現したい。そういう視点でしか仕事に接していませんでした。デザインで社会に貢献しよう、誰かの役に立とう。おこがましいですが、そういうデザイナーでありたいと思いました。
このような経緯で大好きだった子会社から親会社へ、約1年の在籍でしたが戻ることを決意をしました。
全社メール宛に課題を送りつける
最後にやるべきことがありました。それは親会社と子会社の待遇の差別についてです。
以外のようなメールを全社宛に送りました。
転属のごあいさつ
今期より子会社を離れ、親会社に転属することになりました。
子会社で過ごした一年は、制作や企画の皆様には、本当にお世話になりました。心より感謝しております。
在籍中、一点だけ気になっていたことがあります。それは子会社籍の人と、 親会社籍の人とで待遇に差異があることでした。
もちろん理由や経緯はあるかと思いますが、こういった社内の目に見えづらい課題が解決できてこそ、 ユーザーの課題を解決できるのではないか、、と、 去り際で恐縮ですがお伝えできればと思いました。
お世話になった子会社の皆さまがより幅広く活躍できればと心から願っています。
親会社のサービスにバグや不満があればご連絡いただけると嬉しいです。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
前職で散々言われていたこと、同僚とうまくやれないやつは、クライアントともうまくいかない。これと同じことです。社内での差別を良しとする会社が、ユーザーを喜ばせることなんかできる訳がないと。
数年後、私のメールが貢献できたのかは定かではありませんが、待遇の差別は撤廃されました。本当に良かったと思います。
社会人30代中盤その3へ続きます
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