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本当の自分を見てくれた人/青木和 Vol.1

昨年度ルーキーとして積水化学女子陸上部に
加入した青木和(あおき のどか)選手

名城大学時代に駅伝などで活躍。
しかし、その後なかなか試合出場がなく、
心配されていた方も多いかもしれません。

彼女は陸上選手特有の「足が抜ける」症状に苦しみ、
チームと話し合いを重ねる中で、
サポート中心の活動
を続けてきました。

今では、メンバーに声をかける姿、
細やかなサポートは、チームにとっても
重要な役割を果たしています。
監督やコーチにとっても心強い存在です。

ただ、選手としての高みを目指した自分と、
その期待に応えられないギャップ。
その葛藤は、簡単に語れるものではありません。


自分自身をしっかり見てくれていたこと

青木選手が積水化学とつながったのは高校生の時。
野口英盛監督がその走りを見て、
声をかけたのが始まりでした。

当時の青木選手の走りを野口監督は、「体は小さいけど、すごくのびやかで、スピードがある走りをしていた」と評価。
青木選手自身も、声をかけられて、進学か就職か迷ったと言います。

「高校生の時に初めて野口さんに声をかけていただいて、大学に行くか実業団に行くか、最後まで悩んだんです。でも、最終的には名城大学への進学を選びました」


その後、名城大学に入った青木選手は、
駅伝の主要メンバーなどとして活躍。
在学中には、全日本大学女子駅伝で
2連覇も達成しました。

4年間の大学生活を経て積水化学入社を決めた彼女。
その背景には、進学を選んだにも関わらず、
ずっと自分のことを見ていてくれた野口監督の存在がありました。

「名城大学に入ってからは駅伝で周りのみんなに助けてもらい、優勝などの結果を残すことができました。でも、周りから見ると『良かったね』などと言ってもらえるのですが、自分自身では高校時代が一番良く走れていた感覚がある。だから、すごくモヤモヤしているところがあったんです」

「高校時代に一番走れていたけど、大学ではあまり走れていない。野口監督はそういう自分のことを、見ていてくれました。周りは大学が優勝しているから『いい調子だね、おめでとう!』って感じで言ってくれるのですが、野口さんは走れていない部分、私が苦しんでいる部分に気付いてくれていたんです」


恩返しのために

「いつも応援してるからね」と大学の時に
野口監督から声をかけてもらったこと、
自分自身のことをしっかりと見てくれていたこと。

青木選手にとっては、それが競技を続ける
ひとつのモチベーションになりました。

「私は大学への進学を選んで、積水化学というチームを選んだわけじゃない。でも、違うチームなのにも関わらず、ずっと応援してくれている野口監督の温かさだったり、人の好さに惹かれました。積水化学に入って、監督に対して恩返ししたいという気持ちがあり、大学を経て就職先を考えた時、積水化学に入りたいなと思ったんです」。

晴れて積水化学女子陸上部の一員となった、青木選手。
しかし、陸上選手を職業として選んだ彼女には、
思った以上の試練が待ち受けていたのです。

※次週に続く


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