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土着への処方箋——ルチャ・リブロの司書席から・11

誰にも言えないけれど、誰かに聞いてほしい。そんな心の刺をこっそり打ち明けてみませんか。

この相談室ではあなたのお悩みにぴったりな本を、奈良県東吉野村で「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」を開く本のプロ、司書・青木海青子さんとキュレーター・青木真兵さんが処方してくれます。さて、今月のお悩みは……?

〈今月のお悩み〉最近、SNSが苦痛です。
SNSとの距離感がつかめず、悩んでいます。以前の私は、職場の先輩の影響もあり、「多様な人と知り合って、世界を広げたい!」と、会う人とは必ずSNSでつながるようにしてきました。
けれどその後、生活環境が変わったのを機に、自分の気持ちにじっくり耳を傾けてみたところ、実際に連絡を取り合ったり、近況を知りたいと思う人は、20〜30人ほどしかいないことに気づきました。
今では、SNSだけでつながっている人たちの名前を目にすると、しんどくなってしまいます。その人たちのことが嫌いなのでも、かれらが悪いのでもないのですが、無理して背伸びをしていたかつての自分を思い出して、気が重くなってしまうのです。
かと言って、つながりをこちらから経つのは角が立ちます。ミュートにしたり、SNS自体に触れる回数を減らしてはいるのですが、根本的解決にはなっていない気がします。
今後、どのようにSNSとつきあっていけばいいのでしょうか。
(30代・女性)

◉処方箋その1 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書

「お文の魂」『岡本綺堂』

ちくま日本文学032

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自分でかけた「呪い」を解こう

今回のお悩みを聞いてまず思い出したのが、このお話でした。
岡本綺堂は、幕末に元御家人の家に生まれ、近代を生きながらも江戸の面影をたびたび描いた作家で、「お文の魂」は綺堂の人気シリーズ「半七捕物帳」の一編です。
ある旗本のお屋敷にお文という女の幽霊が出て、その家の娘さんと奥方を悩ませているとの話が岡っ引・半七のところに舞い込んできます。

相談者さんは、SNSのタイムラインに上がってくる名前を目にするたびに気が重くなったり、昔のことを思い出してしんどくなってしまうといいますが、この状況はある種、呪いや祟りに似ているのではないでしょうか。

有名な「四谷怪談」や怪談「累ヶ淵」もそうですが、怪談って、幽霊を目にすることで過去の自分の罪や嫌な気持ちを思い出し、消耗していく話ですよね。
そこで「呪われる」のは、たいてい「嫌だな」とか「怖いな」と感じるセンサーを持っている人です。
「お文の魂」でも、お文の幽霊を見て怖がっているのは、娘さんと奥方だけ。家の主人である旗本さんは全く幽霊を見ていないのです。

この短編集には「猿の目」という作品も収録されているのですが、これも、曰く付きの猿のお面を買ってきたところ、買ってきた本人ではなく、たまたま一晩その家に泊まった若者が呪われてしまう。綺堂の作品を読んでいると、呪いは結構理不尽で、ちゃんと「怖い」とか「嫌だ」と感じられる敏感な人がターゲットになってしまうのだと感じます。
岡本綺堂は作品制作にあたって近世の書物に取材しているので、おそらく似たようなことがかつて実際にあったのでしょう。

相談者さんは、現在の自分とSNSに現れる自分が一致していないことを「嫌だ」と感じ、そこから「呪い」にかかってしまっています。
でも、嫌な気分になること自体は、悪いことではありません。物事を敏感に感じとる豊かな感性、深く考える思考を持っているからこそ、SNSの自分と現在の自分をしっかり捉え、そのギャップに違和感を抱いているのです。

今のあなたは、背伸びをせず自分らしく過ごせている。SNSには、背伸びをしていた頃の自分が見え隠れする。だから目にするために嫌な気持ちになってしまう。でもそれは、今が充実している証なのだと、私は思います。
心地よい状態に自分を持っていってあげられているからこそ、そういうふうに感じるんだな、それをちゃんと感じる感性が自分にはあるんだな、と認めてあげられたら、呪いは解けていくのではないでしょうか。

呪っているのが自分である以上、それを解けるのも自分でしかありません。
生きていれば、変化していくのは当たり前です。過去の自分と今の自分が一致していなくてはいけないという枷を外し、そうやって背伸びして頑張っていた時期があるからこそ、今の自分があるんだと肯定してあげていただきたいです。

◉処方箋その2 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書

『高い城の男』

フィリップ・K・ディック著 浅倉久志訳 ハヤカワ文庫SF

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仮想世界を疾走しよう

これは、アメリカを代表するSF作家フィリップ・K・ディックの有名なSF小説です。
物語の舞台は、第二次世界大戦で枢軸国側が勝利し、日本とドイツが世界を統治して15年が経ったという仮想世界です。
日本の支配下にあるアメリカでは、「イナゴ身重く横たわる」という小説が密かに読まれ、広まり始めていました。主人公のジュリアナは、連合国側が勝利した世界を描いたその小説に、心惹かれていきます。

相談者さんにとってのSNSの中にいる自分の姿は、ある意味で、分岐点において「選択しなかったほうの自分」というか、もう一つの世界、パラレルワールドの相談者さん自身と考えることもできるのではないかと思います。
もし今も背伸びをしたままいろんな人とつながり続けていたとしたら、ミュートにしている人たちの投稿を普通に眺めていたかもしれませんよね。

『高い城の男』では、連合国軍が勝利した世界を描いた「イナゴ身重く横たわる」が、禁書のように扱われています。ジュリアナは、その「もう一つの世界」に目を背けようとしながらも、やっぱり強く惹きつけられていき、最終的にはその存在を確かめようと、小説の作者に会うため車を走らせます。その疾走感がたまらなくかっこいいんです。

SNSという虚構の世界が、現実の自分に影響を与えているという点で、相談者さんの姿はジュリアナに重なります。
少々荒療治になりますが、いっそのことジュリアナのようにSNS内を疾走し、もう一つの世界を想像してみてはいかがでしょうか。
SNSでの過去のやりとりを遡って眺め、もしこのまま行っていたらどうなっていたのかを想像してみるのです。そのようにして「もう一つの世界」を感じることは、そうじゃない道に進んでいる自分を、より肯定することにつながるかもしれません。

◉処方箋その3 青木真兵/人文系私設図書館ルチャ・リブロキュレーター

『ヨーロッパ文化と日本文化』

ルイス・フロイス著 岡田章雄訳注 岩波文庫

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日本人は、そもそもSNSに向いていない!?

ルイス・フロイスは、16世紀ポルトガルのカトリック宣教師です。フランシスコ・ザビエルの後に来日し、織田信長や豊臣秀吉とも会見、戦国時代研究の貴重な資料『日本史』を著したことでも知られています。
本書はそのフロイスが、さまざまな生活習慣について、ヨーロッパと日本の違いを1つずつ対比させながら描いていく報告書です。戦国時代の日本の様子がよくわかる、非常におもしろい記録にもなっています。

SNSにかつての自分の姿が残っていてしんどい、という今回のお悩みは、いつもの通り(笑)、近代化の問題ではないかと僕は思っています。

日本における近代化の大きなポイントの一つが、ヨーロッパの概念を生活に組み込むという「西洋化」です。
日本はこれまで急速な近代化を2回経験しています。1回目は幕末から明治にかけて、2回目は第二次世界大戦後です。
この2つの時期に急速に近代化した結果、本来の日本人には合わないやり方を強制されることになり、ジレンマを抱えることになった、と僕は考えています。

その一つの表れが、ソーシャルネットワーキングサービス、SNSだと思います。
ここで言う「ソーシャル」は西洋の「個人」を前提としていますが、日本社会は「個人」が前提の社会ではありません。そこに大きな無理がある

例えば、社会の前提としての「個人」の違いが如実に現れている「名前」について見てみましょう。
西洋では、絶対的な存在としての神との関係において個人が成り立っていて、その個人に一つの名前が与えられます。一方、日本の個人のあり方は、非常に相対的です。年齢や立場によって、次々変わっていくのが当たり前。個人はあくまで関係性の中に存在しています。
確固たる個人の集合体としての西洋の社会と、関係性を前提とした日本社会のあり方は、同じ「社会」といえども、全く違うと言わざるを得ません。

そんなことを考えながら、この本を読んでいたら、まさに書いてあったんです。
「われわれの間では堅信礼の後に名前を変えることはない。日本では一生の間に五回か六回改める」(67-68頁)と。

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堅信礼とは、幼児洗礼を受けた人が信仰告白をし、教会の正会員となるキリスト教の儀式です。西洋では、この儀式を経た後に名前を変えることはありません。一方、日本の場合は幼名(おさなな)、仮名(けみょう)、唐名、官、受領などなど、人生の時々でつける名前が十種も挙げられている。関係性や段階、年齢によって名前を変えてきたのが日本人の「個人」のあり方だったわけです。

そういう社会でやってきた日本人と、名前と個人が一対一でずっと結びついたままのSNSは、そもそも相性が悪い。だからSNSを日本人が気持ちよく使うのは、土台無理。つまり、相談者さんがSNSをしんどく感じるのは、当然のことだと思います。

日本人は変化のたびに名前を変えることで、名前と個人を一貫させてきました。それが自然だったのです。相談者さんは、変化した自分が同じSNSを使い続けることに違和感を覚えていますが、それは、SNSの中で自分は一貫していなくてはいけない、という不自然なことを無意識のうちに思ってしまっているからではないでしょうか。
SNSについてこんなふうに悩んでいるのも、日本人だけなのかもしれません。それは急激な近代化のせいで、合っていないせいなのですが。西洋人はその点、名前と中身が一貫している必要はないと最初から思っているし、うまく折り合いをつけられているのだと思います。

もう一つ、本書を読んで気になったのが「ワザト」という言葉です。例えば……

「われわれの芝生は人が坐るために大切なものとされる。日本では広場の芝草はことごとく、ワザト vazato 引き抜かれる」(155頁)
「われわれは木を真上にのばすために大いに努力する。日本ではワザト vazato それを曲げるために枝に石をつるす」(156頁)

ここでフロイスが言っているのは、「なんでそんなことするんだろう?」です。西洋人が見ると「ワザト」としか言いようのない非合理的な文化が、日本にはある

SNSのアイコンにしても、海外では自分の顔写真を載せるのが普通ですが、日本人にはペットの写真や好きな芸能人の写真を使っている人が多い。「自分じゃないのに意味ないじゃん」とフロイスなら言うでしょう(笑)。でも日本人は確固たる「個人」に確信が持てず、ドヤっと自分を晒すのが不得意なのです。無意識のうちに自分は「複数である」と思っているのですから。だからアバターを使う。

ということで、このお悩みへの1つの解決法は、アカウントを複数作ることです(笑)。
名前を変えれば、一貫していなくても違和感を抱くことはなくなります。日本人としてS N Sを使うなら、それが一番無理の少ない方法なのではないでしょうか。それでいいじゃん、と僕は思います。

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〈プロフィール〉
人文系私設図書館ルチャ・リブロ 
青木海青子
(あおき・みあこ)
人文系私設図書館ルチャ・リブロ」司書。1985年兵庫県神戸市生まれ。約7年の大学図書館勤務を経て、夫・真兵とともにルチャ・リブロを開設。2016年より図書館を営むかたわら、「Aokimiako」の屋号での刺繍等によるアクセサリーや雑貨製作、イラスト制作も行っている。本連載の写真も担当。奈良県東吉野村在住。
青木真兵(あおき・しんぺい)
人文系私設図書館ルチャ・リブロ」キュレーター。1983年生まれ。埼玉県浦和市に育つ。古代地中海史(フェニキア・カルタゴ)研究者。関西大学大学院博士課程後期課程修了。博士(文学)。2014年より実験的ネットラジオ「オムライスラヂオ」の配信がライフワーク。障害者の就労支援を行いながら、大学等で講師を務める。著書に妻・海青子との共著『彼岸の図書館—ぼくたちの「移住」のかたち』(夕書房)、『山學ノオト』(エイチアンドエスカンパニー)がある。奈良県東吉野村在住。

本連載は、毎月1回、10日頃更新予定です。

◉ルチャ・リブロのお2人の「本による処方箋」がほしい方は、お悩みをメールで info@sekishobo.com までどうぞお気軽にお送りください! お待ちしております。

◉奈良県大和郡山市の書店「とほん」とのコラボ企画「ルチャとほん往復書簡—手紙のお返事を、3冊の本で。」も実施中。あなたからのお手紙へのお返事として、ルチャ・リブロが選んだ本3冊が届きます。ぜひご利用ください。

◉ルチャ・リブロのことがよくわかる以下の書籍もぜひ。『彼岸の図書館』をお求めの方には青木夫妻がコロナ禍におすすめする本について語る対談を収録した「夕書房通信」が、『山學ノオト』には青木真兵さんの連載が掲載された「H.A.Bノ冊子」が無料でついてきますよ!



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