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土着への処方箋——ルチャ・リブロの司書席から⑨

誰にも言えないけれど、誰かに聞いてほしい。そんな心の刺をこっそり打ち明けてみませんか。

この相談室ではあなたのお悩みにぴったりな本を、奈良県東吉野村で「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」を開く本のプロ、司書・青木海青子さんとキュレーター・青木真兵さんが処方してくれます。さて、今月のお悩みは……?

〈今月のお悩み〉評価って何?
 大学で歴史を教えていて気になるのが、「評価とは何か?」ということです。
 答えも真実もない歴史学において、学生のレポートの優劣をどう判断すればいいかわからず、悩んでいます。この人のレポートはS、この人のはAとつけたとして、結局は採点者の主観でしかありません。毎回仕方なく、自分なりの基準(言い訳)で採点しますが、悩ましさは募ります。
 この悪影響は、学生にも出てきているようです。明確な答えと評価ばかりを気にする学生が増えているのです。「これ、評価にかかわりますか?」「このレポートでいいですか?」と聞かれることがよくあります。評価のせいで、自由な発想や考える自由が奪われているのではないか、とさえ感じます。
 学問はもっと自由でいいはずです。教員・学生の双方が振り回されている「評価」のあり方、さらには大学のあり方にモヤモヤする今日この頃です。
(K・U/30代男性)

処方箋その1 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書

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『町でうわさの天狗の子』4巻

岩本ナオ作 小学館フラワーコミックスα

数字は絶対じゃない

これは、天狗と人間のハーフ、秋姫(あきひめ)が主人公の物語です。
半分天狗の秋姫は、不思議な力も持っていますが、基本的には優しくて平凡な女の子。できるだけ普通でいたいと思っています。一方、幼なじみの瞬(しゅん)ちゃんは、天狗に憧れる男の子。秋姫の父親の下で見習い修行をしながら高校に通っています。瞬ちゃんに助けられながら、秋姫は高校生活をなんとか楽しく送っていこうと奮闘していきます。

「評価とは何か」を問う今回のご相談を読み、この作品の一場面を思い出しました。
秋姫と瞬ちゃんが高校入学後、初めての通知表をもらって帰ったときのことです。秋姫のお父さんは天狗の康徳様。神様なので、普段は山に住んでいます。でも学校が休みに入る前には必ず下界に住む人間のお母さんと秋姫のところに降りてくる。このとき康徳様に通知表を見せるのが、恒例行事になっていました。

これが秋姫にとっては、なかなかプレッシャーのかかる行事でした。
瞬ちゃんは天狗の修行にも真面目に取り組んでいますが、学業も優秀です。それに比べて、秋姫は勉強があまりできません。普段お父さんと一緒に暮らしていないだけに、こういうときくらい喜ばせてあげたいという気持ちもあって、瞬ちゃんと一緒に通知表を出すのがすごく憂鬱なのです。

ところが、この日2人の通知表を見た康徳様は、こう言います。
秋姫は小学校から1日も休んどらんし、瞬はいい評価守ろうとるし、友達とも仲良うしとるみたいじゃのう。感心、感心
このシーンを読んで私は、評価とはまさに、本来こういうことなのではないか、と感じました。

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通知表を見るとき、私たちはとかく数字を絶対的な評価と捉えがちです。
数学の科目評価が、瞬ちゃんが「5」で秋姫が「2」だった場合、秋姫は瞬ちゃんよりできていないということになる。でもそれは、私たちがどこかで数値化されたものを絶対だと信じているからに過ぎないのではないか。そう思ったのです
康徳様の視点は違いました。数字はあくまで数字。それ以外の要素も見逃さず、数字と対等に扱っています。
そもそも康徳様は、秋姫への愛に溢れた人です。成績の悪さが気になっていた秋姫は、なんとか別のことでお父さんを喜ばせようと、カレーを手作りするのですが、野菜が生煮えで大失敗。でもそんな生煮えカレーでさえ、康徳様は「秋姫が作ったものなら、とにかくおいしい!」と、ガツガツ食べてくれる。
自分のことを思ってしてくれたことや、普段からコツコツ頑張っていること、そういう数値化されていない、その人自身のよい部分をちゃんと見てあげることも、「評価」の一つなのだと、この作品を読んで強く感じました。これまでとは少し違う角度からその人を見てみると、数字が絶対的なものではないということが、自ずとわかってくるかもしれません。

処方箋その2 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書

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『まともがゆれる——常識をやめる「スウィング」の実験』

木ノ戸昌幸著 朝日出版社

評価基準も、揺れるもの

評価の方法や教育の方針って、文部科学省など国から降りてくる場合が多いだけに、教える側も教えられる側も、絶対的なものと捉えてしまいがちです。でも、それらの基準は長期的に見ると、実はすごく揺れていますよね。学歴偏重傾向が強くなった時期もあれば、逆にゆとり教育に走る時期があったり。最もよいとされる評価方法、つまり「まとも」の部分は、時代によって大きく変わっていくのです。

本書は、著者の木ノ戸昌幸さんが障害福祉NPO法人「スウィング」の活動で障害のある人と日々接する中で、常識とは何かを自然と問い直し、そんなにとらわれる必要はない、と新たな地平を見出していくエッセイです。
この本のタイトルについて木ノ戸さんは、「『まとも「をゆらす」』ではなく、あくまで『まとも「がゆれる」』なのだ」とおっしゃっています。「まとも」は、放っておいても揺れるものなのだ、と。時代やプレイヤー、場所が異なれば、何を「まとも」とするかは全く違ってくる。放っておいても揺れるものだから、そんなにとらわれなくても大丈夫だよ。この本にはそんなメッセージが込められています。

一定の評価システムが決まっている今、評価をつける側のあなたは、きっと窮屈な思いをしていることでしょう。でもそのシステムだって、いつか突然変わることはあり得るのです。「一応このシステムに基づいて評価をつけるけれど、あくまでとりあえずなのだ」と、少し気楽に構えてみてはいかがでしょうか。学生さんが評価を気にしすぎているようなときには、「評価はとりあえずで、揺れるものなんだよ。この評価があなたのすべてではない」と伝えてあげてほしい。
でも、こういう葛藤を抱えながら教えてくれる先生がいるというのは、学生さんにとってはとても幸せなこと。どうぞ胸を張って、向き合っていただきたいです。

処方箋その3 青木真兵/人文系私設図書館ルチャ・リブロキュレーター

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『パルチザンの理論——政治的なものの概念についての中間所見』

カール・シュミット著 新田邦夫訳 ちくま学芸文庫

「正規」と「非正規」を併用しよう

お便りを読んでまず、最大の問題は、教員も学生もみな、評価とは「客観的なもの」だと信じ過ぎていることにあると感じました。客観的なものといえば、数字。だから評価は数字で表せる。誰もがそう思い過ぎているせいで、教員は数値化できないものは判断材料にできず、学生も数値化できるものだけに意識が向いてしまう。そうしているうちに、教員も学生も、あなたが言うところの「答えも真実もないもの」自体を認識する力さえ、失っていく——これが今、起きているように思うのです。

今は社会全体に、「評価は客観的につけなければいけない」という暗示があまりに強くかかっている状況です。だからこそ、学生さんたちには「評価とは主観的なものでしかない」と繰り返し伝えてほしい。そのためには、なによりあなた自身の中に「歴史学とは何か」という、ある意味とても「主観的な基準」を持つ必要があります。そこでお勧めするのが、この本『パルチザンの理論——政治的なものの概念についての中間所見』です。

カール・シュミットは19世紀末から20世紀末まで生きたドイツの政治思想家です。第一次大戦後にできたワイマール体制やベルサイユ体制など、一見、民主主義的な体制に批判的な立場をとったために、ナチスのイデオローグに利用されてしまったという、少々イメージの悪い人でもあるのですが。

パルチザンのはじまりは、19世紀初頭の、ナポレオン軍に対するスペインの農民ゲリラだとシュミットは言います。国民投票で皇帝になったナポレオンは、近代的な組織としての「フランス国」を作った人です。それまでは地域ごとに王様や領主がいて、かれらが支配する土地の人たち、という認識だったフランス人を、土地から切り離し、抽象的な「フランス国民」を作り上げたのです。そのフランス国民のために戦うナポレオン軍は、非常にオフィシャル、「正規」ですよね。それに対するゲリラ(パルチザン)は、「非正規」の代名詞です。

シュミットは「パルチザンのメルクマール」として、①非正規性、②遊撃性(臨機応変に色々なことを行う)、③激烈な政治関与、④土地的性格の4つを唱え、中でも4つ目の「土地的性格」を重視していました。

「主観」とは、自分という土地に根づいた「非正規的なもの」ではないかと思います。シュミットも本書で、「技術的進歩が土地的性格を失わせてしまうのだ」と書いています。学生のレポートを一律で評価せざるを得ないとか、客観的にならなくてはいけない状況にあるのは、僕たちの生きている現代社会が技術的に進歩したこととも関係しています。パソコンをはじめ、機械がなくては成り立たない生活を続けるうちに、自分の「主観」で他人の学習を評価してもよいと思えなくなってしまっている。そこから脱するには、やはり自分の中に「非正規的なもの」を取り戻すしかありません。

「正規的な評価」は、もちろん必要です。歴史学における「評価」も、やはりエビデンスを示してものを述べるという歴史学の基本手法が身についていなければ、評価対象外になるのは当然でしょう。手法が身についているかどうかは、客観的に評価がつけられる部分です。でもその先の話である「歴史学とは何か」になると、相談者さんのおっしゃるとおり歴史学に「真実」はないのですから、評価する側の「非正規的」で主観に基づいた判断が必要になる。
これは相談者さんと同じように歴史学を研究したり教えたりする機会のある、僕自身にも言えることです。お互いに、自分なりの主観に基づく(「非正規的」)評価軸をしっかり持った上で、「正規的評価」と併用しながら、学生さん自身が自らの主観で人生を選べるよう、勇気づけていきましょう。

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〈プロフィール〉
人文系私設図書館ルチャ・リブロ 
青木海青子(あおき・みあこ)
人文系私設図書館ルチャ・リブロ」司書。1985年兵庫県神戸市生まれ。約7年の大学図書館勤務を経て、夫・真兵とともにルチャ・リブロを開設。2016年より図書館を営むかたわら、「Aokimiako」の屋号での刺繍等によるアクセサリーや雑貨製作、イラスト制作も行っている。本連載の写真も担当。奈良県東吉野村在住。
青木真兵(あおき・しんぺい)
「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」キュレーター。1983年生まれ。埼玉県浦和市に育つ。古代地中海史(フェニキア・カルタゴ)研究者。関西大学大学院博士課程後期課程修了。博士(文学)。2014年より実験的ネットラジオ「オムライスラヂオ」の配信がライフワーク。障害者の就労支援を行いながら、大学等で講師を務める。著書に妻・海青子との共著『彼岸の図書館—ぼくたちの「移住」のかたち』(夕書房)、『山學ノオト』(エイチアンドエスカンパニー)がある。奈良県東吉野村在住。

◉本連載は、毎月1回、10日頃更新予定です。

◉ルチャ・リブロのお2人の「本による処方箋」がほしい方は、お悩みをメールで info@sekishobo.com までどうぞお気軽にお送りください! お待ちしております。

◉奈良県大和郡山市の書店「とほん」とのコラボ企画「ルチャとほん往復書簡—手紙のお返事を、3冊の本で。」も実施中。あなたからのお手紙へのお返事として、ルチャ・リブロが選んだ本3冊が届きます。ぜひご利用ください。

◉ルチャ・リブロのことがよくわかる以下の書籍もぜひ。『彼岸の図書館』をお求めの方には青木夫妻がコロナ禍におすすめする本について語る対談を収録した「夕書房通信」が、『山學ノオト』には青木真兵さんの連載が掲載された「H.A.Bノ冊子」が無料でついてきますよ!


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