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土着への処方箋——ルチャ・リブロの司書席から③

誰にも言えないけれど、誰かに聞いてほしい。そんな心の刺をこっそり打ち明けてみませんか。

この相談室ではあなたのお悩みにぴったりな本を、奈良県東吉野村で「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」を開く本のプロ、キュレーター・青木真兵さんと司書・青木海青子さんが処方してくれます。さて、今月のお悩みは……?

〈今月のお悩み〉ネガティブな動機って、ありですか?
人はどんな動機があれば、行動に移したり、活動を始めたりできるのでしょうか。
高い志に根差した前向きな動機で立ち上がるのが本来なのでしょうが、自分の場合、「嫌な気持ちを避けたい」という後ろ向きな動機に動かされることのほうが多い気がしています。
たとえば、今気になっているのは、政治の話が非常にしにくいという日本の状況です。立ち話で盛り上がれる話題ではないにしろ、今のように政治について話すのがためらわれたり、タブーのように扱われるのはおかしい。それに、皆が政治について話さないせいで一部の政治家につけこまれ、望まない事態に巻き込まれていっているように感じるのです。それは怖いし絶対に嫌だ——こんなふうに、嫌なことを避けたいという気持ちに動かされる自分がいるのですが、これっていいことなのでしょうか? (J・T/40代男性)

◉処方書その1 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書

お悩み3_妖精

『妖精 Who’s Who』

キャサリン・ブリッグズ著 井村君江訳 筑摩書房(品切れ)

現実から目をそらさないために

嫌な気持ちになるから、避けたいからこそ向かっていく。その行動の有効性は、物語が証明しています。
「ナックラヴィー」という妖精を知っていますか? 子どもの頃、この妖精図鑑に出てくるナックラヴィーがあまりに恐ろしく、鮮烈な印象が残っています。妖精と聞くとかわいらしく美しいものを思い浮かべますが、この本には結構怖い妖精がたくさん載っています。「バンシー」や「まっくらアニス」なんかも恐ろしかったなあ。
実は本書のタイトルが『妖精 Who’s Who』であることはすっかり忘れていたのですが、まっくらアニスという名前や、ナックラヴィーの特徴だけは覚えていて、おかげで大人になった今、再び本を手に取ることができました。余談ですが。

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本書によると、ナックラヴィーは、姿はケンタウロスのように半人半馬、腕は地面に届くほど長く、指には長いかぎ爪がついている。皮膚と首がなく、黒い静脈が体中を走り、頭が肩の上でぐるぐると動いている。海から出てきて家畜や人間を喰らい、毒のある息で作物を枯らすのだとか。海に暮らしているため、唯一、淡水が弱点だといいます。
ここには若い頃、ナックラヴィーに遭遇したタマス老人の語りが記録されています。夜遅く、海と湖に挟まれた小道を通って家路を急いでいたタマスは、前方から大きな恐ろしい生き物が近づいてくるのを目にしました。気味の悪いものに出会ったときは、逃げるよりも面と向かったほうがよいと聞かされていたので、彼はお祈りを唱えながら歩み寄りました。ギリギリまで近づいたところで攻撃をかわし、ナックラヴィーの弱点である湖の水を利用し、何とか逃げおおせたのでした。

タマスは夜闇の中、はじめから相手がナックラヴィーだと認識していたわけではありませんでした。ギリギリまで近づく中で、相手の長い腕やかぎ爪を確認し、湖の水にやけどを負ったような反応を示したことを見逃さなかったからこそ、逃げることができたのです。
「怖いから」「見たくないから」「得体が知れないから」と、ただ逃げようとしていたら、彼は助からなかったかもしれません。あなたは「嫌な気持ちを避けたい」という後ろ向きな動機に動かされる、とおっしゃっていますが、嫌な気持ちを避けたいからこそ、タブー視して脇に退けずに面と向かうというのは、現実から目をそらさない肝の据わった在り方なのではないでしょうか。
政治の話を出せば、気まずくなったり、反論を受けたり、嫌な思いをするかもしれない。でも放っておいて望まない事態に巻き込まれることは、一時嫌な思いをすることよりもっと嫌だ、というところなのだと思います。
ナックラヴィーに近づいてその姿を検めるのは怖いし、気持ち悪いし、リスクもある。でもそれよりも大きなリスク、つまりナックラヴィーの毒牙にかかって命や正気を奪われないためには、向き合う必要がある。タマスはそのことをおそらく代々、聞かされてきました。古い妖精物語が語りかけるのは、幻想の世界の絵空事ではなく、現実的な生き残りの戦略なのだと思います。

◉処方箋その2 青木真兵/人文系私設図書館ルチャ・リブロキュレーター

お悩み3_出エジプト記

『旧約聖書 出エジプト記』

関根正雄訳 岩波文庫

「逃げる」の正当性

いきなりお悩みをちゃぶ台返ししてしまうようで恐縮ですが、「嫌なことを避けたいという気持ちに動かされる」ことは、人類にとってすごく本質的な感覚です。「嫌なことを避けるという気持ちに動かされる」ことを「逃げる」と言い換えて、「逃げ」がいかに大事かについて考えてみましょう。

歴史上で最も重要な「逃げ」の一つに「出エジプト」があります。なぜ「出エジプト」が有名かというと、これをきっかけにヘブライ人たちは神から十戒を授けられ、ユダヤ教が誕生するからです。しかしこの脱出行を率いたモーセは、最初からユダヤ教を結成するぞ! という大志を抱いて、エジプトから逃れたわけではありません。
奴隷のように扱われるなど、エジプトで迫害を受けていたユダヤ人たちが、この非常に嫌な状況から逃げ出すのが「出エジプト」だとすれば、ユダヤ教は「逃げる」ところから始まっていると言えます。「逃げる」は、ネガディブな意味だけじゃないのです。とくに「出エジプト」の場合、闇雲に逃げたというわけでもありません。もともとユダヤ人はイスラエルからエジプトに連れてこられたのであって、エジプトからは逃げたかもしれないけれど、ユダヤ人にしてみれば、「元いた場所」に戻ったとも言える。ユダヤ人がエジプトに連れてこられたのは何世代も前のことなので、かれらが故郷を知っていたとは思えませんが、結果として戻ることになったのは、非常に示唆的だと思います。

ユダヤ人が元いたかれらの故郷に戻れたのは、嫌なことから逃げるというモチベーションがあったからこそ。そう考えると、「嫌なことから逃げる」というのは正当な理由になりうるのではないでしょうか。その動機をあなたがどう使って何につなげるか、そこが大事なのだと思います。

◉処方書その3 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書

お悩み3_ゲド戦記

『ゲド戦記 影との戦い』

ル・グウィン著 清水真砂子訳 岩波書店

影は自分自身だと認める勇気

『ゲド戦記』は、アメリカの作家ル・グウィンの作品で、全6巻からなる物語です。第4巻の『帰還』で終結したものと思っていたら、時を経て第5巻が出て、驚いたことをよく覚えています。『影との戦い』は第1巻に当たり、物語は主人公ゲドの少年時代から始まります。

魔法使いの資質を持つ少年・ゲドは、師の勧めで魔法を学ぶ学院に入学します。そこで親しい友や新たな師を得て頭角を現しますが、敵手となったのが、級友・ヒスイでした。
ある日ゲドは、ヒスイに自らの力を見せつけたいがため、禁術を使ってしまいます。術によって黄泉の国に続く裂け目ができてしまい、恐ろしい影がこの世に放たれました。影はその後、学院を離れて旅する先々でゲドを脅かすようになります。
影から逃げたい一心で、旧知の師を訪ねたゲド。師はゲドに、自分自身が放った影と向きなおることを勧めます。その言葉を聞いたゲドは、影に向かい始めたのでした。

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話すのがためらわれ、タブー視されているからと政治の話を避けているうちに、かえって自分の生活が脅かされるようになってしまう。自らの行動が自らを追い詰める。それはまるで、自分自身で向きなおることを棚上げしてきた、ゲドと影の関係のようです。政治の話をなぜ避けてしまうのか。それは、その人がどこか、政治は自分の生活に直接関係がないとか、自分が関与・参加できたりするものではないというイメージを持っているからかもしれません。ゲドも、師を訪ねるまで、影を黄泉の国から来た恐ろしい存在としてしか捉えず、逃げようとしています。しかし、影はゲド自身の欲望や憎しみに呼び寄せられて、放たれたものだったのです。

ゲドがずっと影に背を向けて逃げ続けていたら、物語はどうなったでしょう。世界の果てまで逃げたとしても、きっと影はゲドに追いついたと思います。もしかしたら影に取り込まれて、ゲドのほうが影のような存在になってしまったかもしれません。実体を持った影は、ますます恐ろしい存在に成長するでしょう。
「それは怖いし絶対に嫌だ」とあなたが強く懸念するのは、まさにそのような事態なのだと思います。影を見るのも嫌ですが、逃げ続けて取り込まれるなんて、もっと嫌です。あなたはそういう気持ちに動かされているのですね。そうならないためにも、まずは多くの人がタブー視して向き合うことをためらっている影(政治の話)が、自分自身とつながっているのだと認めることだと、少年・ゲドの影との戦いが示してくれています。

お悩み3_集合

〈プロフィール〉
人文系私設図書館ルチャ・リブロ 
青木真兵(あおき・しんぺい)
「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」キュレーター。1983年生まれ。埼玉県浦和市に育つ。古代地中海史(フェニキア・カルタゴ)研究者。関西大学大学院博士課程後期課程修了。博士(文学)。2014年より実験的ネットラジオ「オムライスラヂオ」の配信がライフワーク。障害者の就労支援を行いながら、大学等で講師を務める。著書に妻・海青子との共著『彼岸の図書館—ぼくたちの「移住」のかたち』(夕書房)、『山學ノオト』(エイチアンドエスカンパニー)がある。奈良県東吉野村在住。
青木海青子(あおき・みあこ)
「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」司書。1985年兵庫県神戸市生まれ。約7年の大学図書館勤務を経て、夫・真兵とともにルチャ・リブロを開設。2016年より図書館を営むかたわら、「Aokimiako」の屋号での刺繍等によるアクセサリーや雑貨製作、イラスト制作も行っている。本連載の写真も担当。奈良県東吉野村在住。

◉本連載は、毎月15日更新予定です。

◉ルチャ・リブロのお2人の「本による処方箋」がほしい方は、お悩みをメールで info@sekishobo.com までどうぞお気軽にお送りください! お待ちしております。

◉奈良県大和郡山市の書店「とほん」とのコラボ企画「ルチャとほん往復書簡—手紙のお返事を、3冊の本で。」も実施中。あなたからのお手紙へのお返事として、ルチャ・リブロが選んだ本3冊が届きます。ぜひご利用ください。


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