人は未来を予測できないし、同じ人でも考え方は変わり得るー夫婦別姓の文脈でー

 選択的夫婦別姓の議論になると、選択的夫婦別姓に賛成する人から、離婚した時のことを考えて一生同じ名前でいたいからという主張を聞くことがあります。

 しかし、この考え方には落とし穴があります。

 結婚改姓した人の離婚後の氏については、既に選択の自由が存在します。婚氏続称とは、結婚改姓した人が離婚した際も改姓後の氏を名乗り続けることができる制度です。婚氏続称すれば、旧姓に改姓するための手間を省くことができ、名前を変える必要はありません。しかし、万が一再婚した場合、やはり手続きの煩雑さを考慮して名前を変えたくないと思い、結婚相手に改姓をお願いしようと思った時に、かつての配偶者の名前を新しい配偶者に名乗らせることになる可能性があります。

 一方で、初婚(一生に一回しか結婚しない人もいますが)時に、将来離婚したり再婚したりする可能性まで考えてどちらが改姓するかを考えるものでしょうか?通常は、その時の配偶者と将来どういう家庭を築きたいかを念頭に置く人がほとんどで、離婚のリスクなど考えない人がほとんどでしょう。結婚式では離婚を想起させるような言葉が避けらることすらあります。離婚のリスクについて考えることは、初婚時の配偶者のことを考えて遠慮する人もいるでしょう。選択的夫婦別姓が導入されても、初婚時に同氏を選択して改姓した人に対しては、同じような問題が起き続けます。逆に、選択的夫婦別姓になった後、離婚や再婚を考慮して別氏選択したのに一生同じ配偶者と過ごした人は、晩年になってから「やはり家族と同じ氏がよかった」と後悔するかもしれません。

 初婚時に将来の自分の状況や考え方を予測することは不可能であるという点で、選択的夫婦別姓には限界があります。一般的には、結婚する時に離婚したり再婚したりする時のことを考えない人が大半だからです。また、同じ人でも結婚時と離婚時では考え方が変わる可能性があります。「選択的だからこれまで同氏にしたい人はこれまで同氏を選び続けるだけ」という考え方は、同じ人でも状況によって意見が変わる可能性があることを無視しているのです。誰しも未来を予測することはできませんが、その上で自分の選択に責任を持ち、自分の選択による結果を受け入れるべきでしょう。

 名前が変わることやそれによる苦悩を問題視するのであれば、いっそのこと強制的別氏の方が良いでしょう。そうすれば、誰もが名前を変える必要はなくなります。「選択的」夫婦別姓では、自分の選択による結果に対して責任を持たなくてはいけなくなります。自分の選択に責任を持てない人は、「選択的」であることを安易に推奨しない方が良いのではないでしょうか?