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【エッセイ】 地下鉄赤塚

 私は歩くのが速い。
 「もっとゆっくり歩いてください」と、一緒に歩いている人にいわれることもある。自動改札機にきっぷを入れると、機械がきっぷを処理する前に体が通り過ぎてしまうので、エラー音と共にバタンと扉が閉まってしまう。
 何にでも寛容でいるつもりだが、人混みで歩くテンポが違う人には、ちょっとイライラする。雑談しながら4人くらいが横並び歩いているなどは、勘弁して欲しい。そんな中を、私は自動車レースやアメリカンフットボールの選手のように、人の間隔を縫って縫って前に進んで行く。

地下鉄赤塚

 地下鉄赤塚の駅(有楽町線)にはじめて降りた。
 夕方で疲れているのだろうか、電車を降りた人の足取りは皆重かった。姿も表情も重かった。
 眉村卓の小説に「ねらわれた学園」というのがあって、薬師丸ひろ子さんの主演で映画になった。それに、洗脳されて生気を失った学園の生徒たちが、列をなして階段を昇っていく場面があった。その生徒たちは闇に向かって、操り人形のようにどこかへ歩いて行く。
 それを思い出した。
 地下鉄赤塚でのそれは、私が速いからでなく、普通より明らかに遅いスピード。それなのに、誰ひとり列を追い抜いて進む人はいない。改札を抜けた後、地上に出る階段も薄暗く、その不吉な気分は映画と一緒だった。
 
 そんな不吉な雰囲気を受け止めながら地上に出た。すぐに地上を走る東武東上線の踏切があって、今度はそれに足止めされた。遮断機の矢印は左右両方点灯しているので、上り下り両方の列車を待った。周りは皆疲れていた。
 
 健康診断の問診票に「ほぼ同じ年齢の同性と比較して歩く速さが速いですか」との項目がある。標準が分からないが、明らかに速いと思う。速いだけでなくいくらでも歩く。歩くことは苦にならないので、街を歩くと、ひと駅ふた駅の電車代を払うのなら歩いたほうがいいと思うことがあり、スマートフォンの万歩計で1日に20キロ歩いていたりする。

 板橋区は北にむけて坂が多い。荒川がこの先にあるためで、川が大地を削ったのではないか、北に向かって坂は下る。
 北へ向かう道の踏切を渡って、私はすぐに右折したので、道はおおよそ平たんではあったが、それでも緩やかな傾斜はあった。
 住宅街のその道は東武練馬駅の方に向かう。ずっと、ずっと住宅しかなかったが、1キロほど進むと少しずつ商店街の雰囲気が濃くなっていった。商店街の名前なのだろう。街灯に「ゆりーと よくまる」と書いてある。徳丸という地域のようだ。
 私は歩くのは早いが、景色や看板や人はきちんと見ている。以前、目に入る文字は全部読んでいるのではないかと、ふと気づいてハッとしたことがあった。少なくとも私の身近な人は読んでいないらしいし、景色も気にかけていないらしい。
 通りがかり。通りがかりなので、ほんの1/10秒でもないはずだが、狭い間口のお店のガラス越しにスニーカーを針で縫っている人がいた。「えっ?」と思った。しかし、歩く速さのため、「えっ」と思ったことを自覚したときは、もう引き返すでもない距離にいたので、そのまま前に進んだが、明らかにスニーカーを縫う作業をしていた。
 日がだいぶ暮れてきていたので、明かりがついているのは、肉屋さん、八百屋さん、飲食店といったところだったが、商店街だけあってシャッターを開けるといろんな店がある気配がした。
 用事があってのことだった。早々に用事を済ませ、また地下鉄赤塚の駅まで戻るのだが、帰りにスニーカーのお店を確認した。「スニーカーの修理承ります」とマジックで書いた張り紙がガラス戸の内側から貼ってあった。私など、痛めば履き捨てのものしか買わないが、スニーカーにもピンからキリまであって、確かに、高価なものを大切に大切に履いていらっしゃる方も多いらしい。スニーカーを直して欲しいという気持ちも素敵だし、手縫いで補修する職人の姿や心意気も素敵だ。商店街から何もない住宅街に景色は戻っていく。それにもう暗い。暗く寂しい中、歩きながら、そんなことを感じた。
 今度は、明るい時に来てみよう。この街、この道、だいぶ印象が違うと思う。 

(2024年  6月16日)

地下鉄赤塚

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