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プリンアラモードを食べて、フィット感について考える12月

いつの間にかイチョウの葉が緑から黄色になっている。先週の風の強い日、ハラハラと舞い落ちているイチョウの葉を目にして、ようやくそのことに気がついた。

民家のドウダンツツジに目をやれば、ハッと目と心が釘付けになる、そんな深い紅に色づいていた。

季節の深まりが増している。

12月の我が家はというと、空前のフルーツパラダイスと化している。

頂き物のフルーツの入った段ボールが、リビングの床や廊下に、封を解かれた状態で点在している。
柿にリンゴ、キウイに紅まどんな。
それと、食卓にはいつものようにバナナの房が置かれている。
消費するのが大変に感じるほどのフルーツで溢れている。

これは願ってもない嬉しい状況。
私はフルーツが大好きだ。親しい人には、自分がフルーツコウモリだと言い張るほど、フルーツには目がない。

だがしかし、一気に集結しすぎて少々困惑しているのも正直なところ。
果物は意識して毎日食べないと、あっという間に熟れすぎたり、下手をするとすぐに腐ってしまう。そんな状態になることは、なるべく避けたい。
そんなことを考えていた矢先に、天の啓示が。

最近読んだ『きのう何食べた?22巻』にて、プリンアラモードを作るお話が載っていた。


シロさんが使っていたフルーツは、りんごとオレンジとキウイにチェリー。
チェリー以外は現在うちにあるフルーツそのものだった。
それと偶然にも、プリンが食べたいモードが、この頃私に到来していた。

「色んな種類のフルーツを一度に消費出来て、プリンも食べられる…これだ!!」
そう確信した私は、近々にプリンアラモードを作ろうと心に決めた。

*

そして、つい数日前にプリンアラモードを作った。

シロさんのようにプリンを手作り…
なんてことはせずに、お店屋さんのものを調達した。あと、アイスや生クリームはカロリーを抑えるために今回は省略。その代わりに、育てているミントを飾った。

これが私の精一杯のプリンアラモード。柿をプラス。


作りながら、ここ十数年プリンアラモード自体を食べた記憶がないことに気がついた。
そのため、完成形がこれであっているのか極めて曖昧な状態で盛り付けてしまった。まぁ、私の目的はフルーツを美味しく消費できればそれで良い。そう自分に言い聞かせて、これで出来上がりとした。

そして、食べた感想は…

このプリン、美味しすぎっっ!!!
…ん?フルーツを食べるとプリンのカラメル味に全部持っていかれてしまい、フルーツの味が薄く感じる。
もしかして、このプリンとフルーツは一緒に食べる必要ないかもしれない…

とほほ、何てこった。
せっかくプリンアラモードを自分なりに作ったのに、身も蓋もない感想が出てきてしまった。どういう訳か、飛びぬけてプリンの美味しさが目立って感じられた。

確かにメディアに取り上げられたことのある、美味しさの折り紙付きのプリンを使ったのは事実。だけど、一緒に食べたフルーツたちの存在感が左程感じられない状態にまでなってしまうとは。これはどうも腑に落ちない。
そんなことを考えながら食べていると…これはもしや、生クリームやアイスを添えなかったことが原因かもしれないと、その時はそう思い至った。プリンとフルーツをつなぐものがないから、全体としてまとまりなく感じたのかなと。そりゃ、仕方ないと。

漫画の中でケンちゃんが喜んで食べていたプリンアラモード。私もケンちゃんのように、ルンルンな気分になりたかった。だけど現実は、思い描いていた感じと違っていた。
せっかく作ったのに、なんだか少し気落ちして、しょんぼりと食べることになってしまった。食いしん坊な私にとっては、結構残念なできごとだった。

*

後日。
この"プリンアラモードあんまり美味しく思えなかった"エピソードが、思いがけない形で腑に落ちるきっかけがあった。

それは、秋にしては暖かくよく晴れた日のこと。
趣味であるガーデニングに精を出していた際に、ちょっと休憩がてらおやつを食べることにした。その時私が選んだおやつは、庭で育てているイチジク。12月にイチジク。かなり、時期がずれている(笑)
西日しか当たらない場所で育てているので、日照不足で毎年この時期にならないと熟さない我が家のイチジク。ちょうど最近熟れてきたので、味見もかねて庭の水道で洗って、その場でとりたてを食べてみた。

すると、なんとも素朴な味わい。スーパーで売っているようなものに比べればジューシーさはないし、サイズも小ぶり。だけど、中身がぎゅっとつまっていて、プチプチとした触感と薄い皮がなんとも美味しかった。じ~んわりと身体にしみるような味で、自家栽培の果物としては十分。うっすら感動すらする味だった。

後日収穫したもの


そのとき私はハッ!とした。
自分が求めていたのは『シンプル』っていう感覚なのではないかと。

飾り立て、いつもよりちょっとゴージャスなプリンと色んなフルーツを一度にたくさん食べる。そんなデザートを、本当は望んでいなかったのではないかと。

頂き物のフルーツたちは、それぞれに十分に美味しい旬の味覚ばかり。
なにも、それらをまとめて一度に食べる必要はなかったのではないか。そんな思いがじわじわと湧き上がってきた。

何を美味しいと感じるかは、私の場合その時々の心身の状態によっても変わるのかもしれない。
刺激的な味がたまらなく美味しく感じるときもあれば、素材そのものの味を存分に楽しみたいときもあるのだと思う。

ここ最近の私にとっては、そんなに多くない量の素材をシンプルに楽しむ食べ方をする方が自分の心と体の状態にフィットする。それがとても心地良い。そういうことだったのではないかと合点がいった。

自分の心身の状態に耳を貸さずに
「フルーツが潤沢にある、滅多にない機会だから欲張っちゃえ!」と、ついつい頭の中だけで考えた損得感情を私は優先していた。そうしたら、今の自分にとってはそんなにハッピーな結果にはならなかった。

上手くまとまらないけれど…
今の自分の体の状態にもっと目を向けたり、心の声に耳を傾けてあげたい。そうすることで自分の状態にフィットするものを選べて、延いてはそれが自分を喜ばせることにもつながる。そんなことを考えさせられた気がした。
些細なできごとだけど、大事な気づきだったと思う。

様々なことに気を配る日々が続き、頭で考えることが先行し自分自身の感覚を大切にすることが疎かになっていた今日この頃。思考がtoo muchになっているよーっという自分からのお知らせだったのかもしれない。

深呼吸をして、どしっと地に足をつけて、自分自身の心と体と対話をする時間を持つ。それを日々忘れないようになれたら良いなと思えたできことだった。


おわり



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