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<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

 <日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編

#2 二日目 2021年3月21(日)

時間調整

2021年3月21日、日曜日。昨晩は、慣れない車中泊で、ほとんど熟睡できなかった。それにしても、真夜中の断続的な野太いエンジン音と爆音が、想定外だった。どこの誰だか知らないが、忌々しい感じがした。

朝の6時過ぎには目が覚めていた。だが、もう少し寝ていようと思った。何しろ今日は小一時間走って、午後の3時過ぎに<津>インター近くのホテルにチェックインするだけだ。

日除けシェードの隙間から外を見ると、まだ薄暗くて、土砂降りだ。午後の3時まで、どこで暇をつぶすかな?雨だし、写真も無理だろう。もっとも、<津>付近の灯台などは調べていなかった。というのも、当初の計画では、<津>インター付近のホテルに夕方着き、一泊して、翌朝すぐに移動を開始するつもりだったからだ。

雨音や車の出入りの音、人の声などを聞くともなく聞きながら、小一時間、横になったまま、寝ているでもなく、起きているでもなく、なんとも中途半端な、しかし、なぜか懐かしい、平安な時の流れに身をゆだねていた。

<津>か~~?海が近いし、港がある筈だ。港があれば、そこには必ず灯台がある。雨降りだから、写真は撮れないまでも、海岸縁でぼうっとしているのも一興だな。だんだんと意識がはっきりしてきた。

7時半に起きた。車内で朝の支度をした。細かくは、書かない。まずおしっこ缶に排尿。これですべての缶が満杯になった。次に、ブラシで髪をとかし、洗面桶に少し水を入れ、手ですくって、顔を何度か洗った。さらに、口に少し水を含み、歯磨き粉をつけない歯ブラシで、歯を磨いた。そのあと、口の中にある水を、洗面桶に、ぺっと吐き出した。朝食は、昨日買っておいた牛乳と赤飯おにぎり、それに菓子パンだ。まったく食欲がなく、しかも、赤飯握りは、バサバサで食えたもんじゃない。半分残した。

そのうち、かすかな便意を感じ、トイレに行きたいような気がしてきた。だが、外は土砂降り。濡れネズミはごめんだな。とたんに、便意が消えてしまった。そうだ、<津>付近の灯台だ。ナビで調べてみた。あ~、<贄埼灯台>。漢字が読めないので、名前がわからない。とはいえ、ネットの<灯台サイト>で何度か目にした名前だ。ま、行ってみるか。

午前九時前、雨の中、鈴鹿パーキングを出発。やっぱり、この歳になって、車中泊なんて無理だよな。とはいえ、無理なことがわかったわけで、後悔はなかった。

<津>の市街地を通り抜け、ナビの案内に従った。ものの一時間もたたないうちに、現地に着いた。<贄埼=にえさき灯台>は、通行禁止の防潮堤の終点に立っていた。ま、<通行禁止>ではあるが、車が通れる。しかも、都合がいいことに、終点に車一台分くらいの駐車スペースがある。念のため、防潮堤の上で、何度か切り返して、車の向きを変えておいた。すぐに逃げられるように、だ!

外に出た。<残念>が二つ重なった。ひとつ目は雨。土砂降りではないものの、降っている。車に常備している大きめのバスタオルでカメラを保護した。頭は、パーカのフードをかぶった。これで撮影できないこともない。だが、ふたつ目の残念だ。灯台は小ぶりながら、石垣の上にのっかっていて、昔の木製の<灯明台>のような形をしている。造形的に面白い。ただし、ロケーションが最低。うしろは民家、そばに電柱と電線があり、緑色の網フェンスできっちり囲まれている。これでは、撮りようがないではないか。

防潮堤を下りた。そこは海岸ではなく、道路だった。目の前に大きな施設があり、高速船のような船が止まっている。なんなのかよくわからない。海沿いに大きな駐車場もあった。ちなみに、この施設は<津エアーポートライン>。対岸の愛知県<中部国際空港>との間を高速船で往復しているらしい。HPには、コロナでずっと休止していたが、19日から再開と書いてあった。

防潮堤の下の道路も、行き止まりで、Uターンするようになっていた。振り返って、灯台を見ると、今度は、反り返った防潮堤が目の前にど~んとある。写真にならん!だが、しつこく、防潮堤の先端まで行って、灯台の全体像を画面におさめた。と言っても、空は空白、電線が斜めにかかった灯台は、まったく絵にならない。石垣の上に立つ<灯明台>的なフォルムが面白いだけに、残念だと本気で思った。

雨は、依然として降っていた。だがまだ、かろうじて写真が撮れる状態だった。向き直って、海のほうを見ると、三角形の赤い防波堤灯台が見えた。近くに白い防波堤灯台も見えたが、こちらの方は、灯台の形を成してない。単なる白い鉄柱のような感じだった。この、雨に煙る名も無き小さな灯台たちを、写真に撮れたらなあ~、とちらっと思ったような気がする。バスタオルで、雨からカメラを保護しながら、何枚かは撮った。

雨足が少し強くなってきた。引き上げ時だ。車に戻った。まだ午前中の十時時過ぎだった。昨晩の車中泊のせいだろう、眠気が差してきた。車を止めて、ゆっくり仮眠できる場所をナビで探した。近くに<ヨットハーバー>があり、海岸沿いに車を止められそうだ。行ってみるか。

来た道を、ぐるっと戻る感じで、川ひとつ渡り、海岸沿いの広い駐車場に着いた。車が数台止まっている。隣が<ヨットハーバー>だ。しずかな場所で、仮眠場所にはぴったしだ。窓にシェードを貼りつけ、後ろの仮眠スペースに滑り込んだ。持ち込んだ厚手の布団を一枚掛けたような気もする。暑くもなく寒くもない。横になった途端、眠ってしまったのだろう。目が覚めた時には、昼の十二時を過ぎていた。

頭がすっきりしていた。雨もやんでいた。外に出た。カメラを手にして、目の前にある防潮堤に近づいた。都合がいいことに、階段があり、砂浜におりられた。空も海も鉛色。風が強くて、波が荒い。

視界の左方向に、先ほど見えた三角の赤い防波堤灯台が見えた。距離があるので、ポシェットに括り付けているデジカメの超望遠などでも撮った。天気が悪く、そのうえ逆光気味だから、きれいには撮れない。記念写真にしかならない。それでも、しつこく撮っていたのは、きっと、いまいる場所、時間、気分などが気に入ったからだろう。意味もなく、ちょっと感傷的になっていたのかもしれない。

車に戻った。ホテルのチェックインまでには、まだ時間がある。再度、ナビを見て、付近に何かあるか探してみた。目と鼻の先に<海浜公園>がある。行ってみるか。防潮堤沿いの細い道を少し走ると、道沿いに、なにやら、それらしき場所があった。ただし、海に面しているわけでもなく、普通の駐車場だ。いったん中に入って、すぐにUターンした。

細い道をさらに行くと、なんとなく行き止まり。いや、右直角に道があり、防潮堤の上に出てしまった。防潮堤の上は、というか、正確には、防潮堤の下の道は、かなり広くて、海岸沿いに、ずっと伸びている。車は一台も止まっていない。いや、一台だけ黒いワンボックスカーが止まっていたな。看板があり、むろん、通行禁止だ。景色はいいが、ここに車を止めるわけにもいかないだろう。そのままバック、何回か切り返して戻った。

その後は、また先程のヨットハーバー隣の駐車場へ行って、二度目の昼寝をしたのだと思う。目が覚めた時には、雨は上がっていた。3時少し前だと思う。

・・・唐突だが、ここで言い訳をしておこう。というのは、今現在の日時は、2022年1月2日だ。どういうことなのか、要するに、この旅日誌は、昨年の春先、旅後に、ここまで書いて、放棄してしまったものなのだが、多少の時間が過ぎて、やはり完成させようと思いなおして、書き始めたものなのだ。

旅後の旅日誌の執筆を、灯台旅の約束事としていたにもかかわらず、あっさり反故にした理由は、今となっては、こまごま書くのも煩わしいが、苦労の多い割には実りの少ない駄文にすぎない、とある時確信したからであり、その結果、何かが書けていたように思っていた自分と駄文に嫌気がさしてしまったのだ。ま、ケツをまくったわけだ。

ところがだ、時間の経過とともに、気分も変わり、この<紀伊半島旅>と次の<出雲旅>の旅日誌の執筆は断念したものの、そのあとの<男鹿半島旅><網走旅>の旅日誌は、ちゃんと脱稿した。こうなると、ますます上記二つの旅日誌が書かれていないのが、気になる。整合性がないではないか!いや別に、そんなことはどうでもいいのだけど。

とにかく、気分的には、この二つの、<紀伊半島旅>と<出雲旅>の旅日誌を完成させたいという気持ちが強くなってきた。とはいえ、今更、その当時のことが、思い出せるのか?ま、やってみるしかないな。さいわい、メモ書きと撮った写真が残っている。それを頼りに、頭の中の暗闇を歩き始めてみよう。

・・・午後三時になった。ホテルにチェックインできる時間だ。ナビで見つけた<すき家>で夕食を調達して、幹線道路沿いの大きなビジネスホテルに入った。といっても、細かい事はもちろんのこと、断片的なイメージすら浮かんでこない。まあ、勘で書いていこう。すぐに<風呂、日誌、くつろぐ>。おそらく<牛丼>だろうが、どのタイミングで食べたかも、今となっては、忘却の彼方だ。

なにも、そんなことを思い出すために、苦労することはないだろう。だが、そうした事どもをないがしろにすると、そもそものところ、記述することが、なにもなくなってしまうかもしれない。ま、いい。<明日からの写真撮影 花粉症がひどい はなづまり すでに450キロ以上走っている>。いちおう、メモ書きは転記しておこう。

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