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<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

第9次灯台旅

出雲編

2021年4月18.19.20.21.22.23日

出雲旅五日目

2021-4-22(木)曇り時々晴れ。6:30 起床。眠りが浅い、一、二時間おきにトイレ。朝食・おにぎり二個、パン、牛乳。皮の真っ黒になったバナナ・これは冷蔵庫の製氷棚の下に置いて凍らせてしまったのだ。下の方は、ぐにゃっとしているので食べずに捨てた。

8:00 出発。ナビを足立美術館にセット。ファミマでコーヒー¥100。宍道湖沿いに9号線を走り、有料道路を抜けて、安来市の方へ行く。

9:40 足立美術館到着。以外に遠かった。入館料が¥2300、ちょっと高いなと思った。庭園は広々していて、細部に至るまで丹精され、気落ちがよい。茶室や喫茶室などに入って、何回も休憩しながら庭園の写真を撮る。横山大観、竹内晴楓、橋本冠雪、魯山人などの作品もゆっくり見る。

15:40 引き上げ。途中、宍道湖際のセブンで休憩。写真も撮る。18:00 前に出雲市のゆめタウン着。お土産のそば、おにぎりなどを買う。¥830。近くのガソリンスタンドで給油。リッター¥145で約22リットル。¥3330。18:30 過ぎにホテル着。風呂、夕食・カップ麺、おにぎり、パンなど。19:30日誌をつける。寝る。

庭園などには、さほど興味もないのに、まる一日かけて、庭園見物をしたのは、この足立美術館が、<日本一>の日本庭園と言われているからでもある。確かに、広大な日本庭園も、館内の設備も、細部の細部に至るまで、丹精され、きちんと管理されていて、とても気持ちのいい空間だった。入る時には高いと思った入館料の¥2300も、出た時には、<高い>とは思わなかった。もっとも、五時間近くも館内にいて、写真を撮りまくっていたのだから、四の五の言う前に、元は完全に取れていた。

出雲旅六日目

2021-4-23(金)曇り。風が冷たくて肌寒い。7:00 起床。眠りが浅い。しかも、嫌な夢を何回か見る。ひとつはニャンコについて。階段の踊り場から、寂しそうにこちらを見下ろしている。はっきりといまだにイメージされる。

洗面、朝食・おにぎり二個、牛乳、クロワッサンなど。排便は、出なかったような気もする。そのあと、帰り支度。泊まった部屋の原状回復。8:00 出発支度完了。12:15 発の羽田行きだ。出るにはまだ早い。テレビなどを見て時間をつぶす。

9:00 ホテルをチェックアウト。駐車場で荷物のラッピング。かなり手間取る。お土産のそば類が意外にかさばり、重い。9:40 空港近くのニッポンレンタカーへ向かう。すぐに着き、即空港まで送ってもらう。

10:00 出雲空港、保安検査通過。搭乗口前の待合室でくつろぐ。日誌を書く。おしっこ、頻繁にトイレ。10:20 ニッポンレンタカーから携帯着信。ダウンベストを車内に忘れたようだ。持ってきてくれるという。保安係の若い女の子に、その旨伝えて、近くで待つ。ほんの十分ほどで、保安の女の子が、携帯用の袋に入っているユニクロのダウンベストを、検査用の小さなかごに載せて、持ってきてくれた。

ニッポンレンタカーの人はすでに立ち去っていたので、営業所に電話してお礼を言う。黒くて手のひら大、それにコロコロしているから、座席の下に落ちてしまったのかもしれない。ちょっとした親切に心が和む。

12:15 JAL280便で、出雲空港を出発。座席は非常口の窓際。小窓から外がよく見える。天気もまずまずで、順調なフライト、そのうち、富士山が見えてきた。デジカメで撮りまくった。

13:30 羽田空港着。モノレール乗り場へ行き、浜松町で乗り換え。山手線で池袋まで行く。途中、向かい側に東南アジア系の若者が座っていて、大きな声で話している。マスクはしているものの、なんとなく嫌な気がして、席を立つ。

池袋で乗り換えて東上線の快速に乗った。川越市で準急に乗り換え。と思ってホームに降りたとたん、リックを背負っていないことに気づいた。あわてて、閉まりかかったドアの中に飛び込んだ。網棚に載せたリックを探しながら、電車内を歩く。ない!!!そんなはずはないだろう?もう一度探し歩く、と、ちゃんと網棚の上にありました。電車の中で、少しうとうとしたのがいけなかった。頭がはっきりしないうちに急いで降りたのが、忘れ物の原因だ。いや、それよりも、これからは網棚に荷物を上げるのはよそう。
快速だから、最寄りの駅には止まらない。二つ先の駅で降りて、引き返してきた。ま、大ごとにならなくてよかった。

16:00 最寄り駅着。まだ早いが夕食だ。満州餃子で、きょうは、タンメンでなく、ラーメンと餃子、それに小盛のごはん。¥870だったか、やや高めだ。ま、それよりも、店内に生ビールを飲んでいる会社員風の三、四十代の男が二人いて、けっこう大きな声で話している。ビールを飲むときは、むろんマスクを外すが、その時も話している。席は少し離れているし、というかそういう席を選択したのだが、それに彼らには背中を向けている。だが、なんか、少し嫌な気分だった。

そういえば、行きの飛行機でも、鼻だしマスクで、べちゃべちゃ話していた中年カップルがいたし、帰りの飛行機でも、持ち込んだ食品を食べている若者が、通路を挟んだ横に居た。普通なら、ほとんど意に介さないことでも、今日日、外出時のコロナ感染が、かなりのストレスになっているのだろう。

17:00 前に帰宅。さほど疲れていなかった。ざっと後片付け。だが、その後は、眠気が差してきて、たしか、早めに寝たと思う。

2021-4-18.19.20.21.22.23日、五泊六日 出雲旅の収支。
JAL飛行機往復¥50180 ニッポンレンタカー¥27720
出雲空港ホテル五泊¥26100 
ガソリン・走行距離約450キロ¥3320
観光¥5300 お土産¥2800 食品等¥9800
合計¥127000 やや、高めの旅だった。

備考
第9次灯台旅、出雲編は、旅後には書かれなかった。というのは、この時期、旅日誌を書く気力がなくなっていたからで、理由はどこかで書いたが、多大な労力をかけた割には、人様に読んでもらうほどの文章になっていないことを、痛切に自覚したからである。要するに、アホな文章を臆面もなく公開していたことに、嫌気がさしたのだ。

とはいうものの、時間が少し経ち、冷静になると、自分用の忘備録として、<メモ書き>を<旅の記録>として、まとめようという気になった。だが、書き始めると、日記風の文章を、旅日誌的な、ある程度ちゃんとした文章にしたいという欲がでてきた。

そこで、少し努力してみたが、すでに、時間がたちすぎていて、灯台撮影の詳細については全く思い出せない。旅の主なる目的が、灯台撮影なのだから、その旅日誌も、当然、その辺を中心にして、書かれるべきなのに、何も書けないのだ。いや、その努力ができなかったわけで、結局は、<メモ書き>を転写したような文章になってしまった。

したがって、この<出雲編>は、脱稿した時点では、公開するつもりはなかった。だがしかし、徹頭徹尾<いいかげん>であることをお許し願いたいが、いまになって、この<出雲編>だけが公開されないのは、2020年度から始めた、編年体としての<旅日誌>の一貫性が崩れるような気がしてきたのだ。もっとも、アホな文章群に、一貫性もヘチマもないのだが、ともかく、文章的にどうのこうの、というよりは、帳尻を合わせたいという気分が上回ったのだ。

それと、時間がたちすぎていて、現在では<旅日誌>執筆への心境も変わっていて、2023年度以降の<旅日誌>は書かない、あるいは、書けないと諦念している。それだけになおいっそう、せめて、2020年度から2022年度までの<旅日誌>では、その編年体としての一貫性を保持、完遂したいという気にもなったのだろう。

これはちょうど、収集している記念切手が、ある年代だけ欠けているので、気になっている、あるいは、ぜひとも手に入れて、コレクションを完成させたい、という気持ちに似てないこともない。

それはともかく、正直なところ、この第9次灯台旅<出雲編>の文章が、<日記風>な文章になってしまったことを、だれとはなしに、言い訳したかったのである。ご勘弁願いたい。

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