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私的スパイスカレー問答

外食産業において、スパイスカレーがひとつのジャンルをなすようになって久しい。ただこの際、その定義に関する仔細な引用などは控えたい(単純にめんどくさい)。が、要はインドないしその周辺国のオーセンティックなカレーとは異なる、つくり手の創作性を前面に出した、さらには和食など他のジャンルの要素も織り交ぜた、より自由奔放なスパイスの使い方を提示する食べ物である――僕の理解はこういう感じなのだが、まあおおむね間違ってはいないと思う。

いまをさかのぼること7、8年前であろうか。僕もわりと頻繁にスパイスカレーの店に足を運んでいた。属人性の高い料理だけあって、特定の店を訪ねることでしか意図する体験はできなかったからである。大阪でも比較的スパイスカレーの店が目立つ天満あたりに住んでいたことも、少なからず自らの行動に影響したはずだ。

しかし、ここ数年に関していえば、その頻度は有意に落ちていた。いわゆる日本の洋食の文脈にあるカレーに惹かれるようになり、そこに多くのリソースを注ぎ込んでいた事実もある。が、もっと直接的には「スパイスカレー仕草」なるものに意識が向き、というより勝手にそんな認識を膨らませ、頼まれもしない謎の負担感を覚えるようになったことの方が、より大きな意味を持っている気がするのである。その内実は以下のようなものだ。

店々がその独創性を競うスパイスカレーは、(いまでこそレトルト商品としてスーパーに並ぶものも目立つが)未だ嗜好品の域を出ていない。「国民食」としてのカレーに列せられるまで一般化おらず、複数人が集まってランチをする際の最大公約数にはなりえない。「鮮烈なスパイス使い」を喜ぶ人は、程度の差こそあれ「好事家」であるし、スパイスカレー自体がそうした解釈のうえに成り立っているとも思う。飲食店で過剰なまでに遠慮がちな態度を示す僕の母(62)が、とりあえず出先で食事となった際、優先的な選択肢に思い浮かぶかといえば、決してそうではないはずなのだ。

では、どうなるか。要はこちらとしては、分かったような顔を貫く必要に駆られるのである。私は好き好んでスパイスカレーを食べている、だからどこどこの店にも行った、その店と比較してカルダモンの使い方がどうだ、あそこのアチャールは酸味が強すぎる等々。誰かに尋ねられれば、それらしき講釈を垂れることができる、少なくとも相手から見てそう期待できる面構えであらねばらない、そう思えるのだ(実現可能性はさておき)。

店主のスパイス趣味が高じて商売にまでつながった、そんなケースが目立つ点も見逃せない。音楽なり、文学なり、旅行なり、あるいはそれらを包含するサブカルチャーなりに造詣があり、そうした趣味を突き詰める習慣の延長線上に、スパイスカレーがあったという例は少なくない(当社調べ)。

もともとカレーが家業だったというのなら、代を重ねるごとに、商売が人の手から人の手に移るたびに、その主張はマイルドになっていこう。しかし、スパイスカレーに関しては、現在進行形で多くの店が創業者の手により運営されている。となると、個店の意図はよりダイレクトに表現される。そこにマッチした振る舞いをすることは、ある種の「勝機」「正解」につながる。少なくとも僕はそのように思える。

以上のようなことを前提に置くと、それこそファッションレベルでも、店のストーリーを意識しなくてはなるまい。身もふたもないことをいえば、オーシバルのボーダーTにニットキャップ、つまりはBshop的なコーディネート、これはひとつの最適解なのだ(「それっぽく」なる)。その点、髪を肩まで伸ばしたヒゲづらの僕は、放っておいても「それっぽい人」と処理されるし、なんなら「同業者ですか?」と問われることも少なくない。便利なのである。

いまひとつは、SNSにおける情報開示に極めて親和性が高い、それもスパイスカレーという料理が持つひとつの側面だと思う。思い返せばアホなのだが、そこのところに自発的な義務感を覚え、しんどさを感じてしまったことが数年来、スパイスカレーの店から足が遠のく原因になっていた――これはもはや否定しようのない現実なのである。が、「映える」のは事実だし、店側からしてもそうあるがための最低ライン、共通解というのが相当に確立されたように思う(あいがけの盛りつけ方など)。

とはいえ、人というのはすごいもので、ここへ来てようやくこれらの懸案に折り合いをつけられるようになってきた。つらつら書いてきたことをひっくり返すようで我ながらドン引きなのだが、これらの認識(あるいは偏見)にとらわれていたころと比べれば、ずいぶん気楽に敷居をまたげるようになったのだ。なぜなら、食べたいものは食べたいから。もはや無敵になってしまったのである。

なんにせよ、相当おかしな振る舞いをしない限りにおいては、消費者側から勝手に遠慮する必要などないのである。ただ、スパイスカレーなる文化が一定程度、人を選ぶ食文化に甘んじていることは、認めざるをえないとも思う。僕と似た余計な逡巡が世に存在するかは分からないけれど、取り越し苦労で自らの行動を制限している人が少しでも減ることを切に祈りたい。

末筆ではあるが、スパイスカレーの裾野が広がった結果、「これから私は! 確たる決意のもとに! スパイスカレーを食します!」といった厳然たる覚悟のもと、のれんをくぐる必要のない店が出現してきたことも、いちおう申し添えておきたい。

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