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どちらの「神明宮」がお好みですか? 〜原島神明宮

こんにちは。今回は原島神明宮に参拝してきました。

国道4号線から一歩入ったところにあるお社です。

新編武蔵風土記稿によると「村の産神とす」とあります。境内を見渡すと複数の末社がありますが、稲荷神社らしきものは確認できてもあとは何神社かは不明。

神社自体、何の変哲もない村の中のお社にみえますが、上の写真の鳥居についている石額、これが素晴らしい。

神明宮 萩原翬謹書
宮の口同士を繋がる線がありませんが、昔はこれが普通です。

筆者は幕末三筆の一人、「卷菱湖」門下の四天王の一人に数えられる「萩原秋巌」のものです。

中国:唐の時代に活躍した「欧陽詢」をベースにした唐代楷書で隙がありません。それでいて、卷菱湖の影響なのか、筆致の柔らかさが出ています。安定感があります。

落款:萩原翬謹書

落款(作品を誰が書いたか証明するもの)は本名の「翬」を記しています。一般的に作品には「雅号」があればそれを使いますが、神仏に関するものなどには畏敬の念を込めて「本名」で書く場合もあります。
いい例が「写経」ですね。ほとんどの場合は本名で書かれています。

落款印が2つ押されているのですが、摩滅して読めない状態です。残念です。

鳥居の柱には「元禄九年」の記載が見え、萩原秋巌との時代の隔たりは約130年~170年ほどあります。

付け替えたのかどうかはわかりませんが、鳥居の建立よりも遥かに後年に石額をつけたことがわかります。

この額が奉納された年月は定かではありませんが、萩原秋巌の没年が明治10年にあたりますので、2023年からだいたい150年前に当たると推定できます。
いかに江戸の時代が長かったかが実感できます。笑

水盆は寛政11年作。
灯篭は左右に一基ずつ。天保8年作。
右側:坂上鋪石奇集?
天保8年 灯篭と同時期
こちらは左側。

灯篭の手前に高さ30cmくらいの石の塊が左右一対で存在。どういったものだったかよくわかりませんが、灯篭と同時期にできたもの。

風化されていない横の文字はキュッと締まりすぎている感じもうけますが、スタイリッシュです。現代的。
こういうものは筆者がわからないのが大抵です。概ね、氏子の誰かが書いたものになるのだろうと推測しています。

力石?
拝殿
神明宮 シ(号鳥)高羲拝書

鳥居の額に負けず劣らず、拝殿の社額も素晴らしい筆跡が掲げられています。

シ(号ヘン・鳥ツクリ)高羲という人が書いているようですが、詳細不明。印も不明瞭過ぎて解読できません。

羊毛の長い毛を使っていると思われます。息の長さが特徴的です。
筆者は「神」のヘンの書き方が好みです。

皆さんはどちらの「神明宮」がお好みでしょうか?

コメント等でお知らせ下さると嬉しいです。

アクセス
原島神明宮
埼玉県草加市西町323

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