黒石市を見守る神社にある碑 〜黒石神社①

こんにちは。子峯です。
今回は青森県黒石市にある黒石神社を参拝。

年季の入った手書きの看板。こういうのたまらないですねー。笑

この由緒書によると

黒石藩祖津軽十郎左衛門信英公は宗藩弘前二代藩主津軽信牧公の次男で藩祖為信公の孫に当り、元和六年(1621)江戸に生る。生母は満天姫と称し徳川家康の養女である初め幕臣として江戸書院番駿府在番等を勤める。明暦二年(1656)後の名君とうたわれた弘前の代藩士信政公が幼少のため信英公は幕命によりその後見識となり弘前城に於ても諸政を司とった。同年八月、公は信政公より黒石平内外五千石を分知され黒石藩の基を築いた。降って文化六年(1809)一万石に増封され、大名に列せられた。公は文武にすぐれ、持た当代第一流の軍学者山廃素行の高弟として、その学識と執政は諸大名の間にも高く評価された。寛文一年(1682)九月二十二日弘前城にて長逝享年四十三

由緒書の看板より、適宜句読点追加

とあるように、黒石市の基礎を築いた津軽十郎左衛門信英が祀られている神社であることがわかります。

その他、境内には多くの文化財があるようです。

明治天皇が巡幸された神社であり、その碑が建っていますが、それは次回ご紹介します。

では、早速、拝殿より。

社紋は津軽牡丹
拝殿
黒石神社 社額

「石」字に妙な一画がありますが、これは石の通俗的な書き方
こういうのがあるのが日本的な感覚。

ただ、「石」と書くよりも何か、文字通り、引っかかる感触がある。

作者不明ながらも、シンプルな額がより字の神秘性を際立たせていると感じることができます。

東照宮

由緒によると、もともと弘前東照宮であったらしい。
祀られているのは徳川家康命と津軽満点命。
東照宮御祭神徳川家康命の養女、満点姫命がここの御祭神、津軽信英公の母親に当たる関係らしく、この地に親子三代が揃っていると由緒書にある。

なかなか御加護のありそうな感じですね。

市街を見下ろせる場所に2つの碑がありました。

松尾芭蕉句
月と梅

1つは松尾芭蕉の句碑。
正面に「春も稍けしき調ふ月と梅」と書かれる、明治26年の碑。
残念ながら摩滅が激しく、原型を伺い知るのが難しい。だが、御家流らしき典雅さをもっていて、仮名もはっきりした大きさで、推測するに江戸情緒ある碑であったのだろうと思われます。

碑の文字の雰囲気を活かしつつ、参考にと書いてみた。

「調ふ」の「ふ」が「不」なのか、「布」なのかよくわからなかったので、「布」で縦への流れをつくりました。

「月」は碑のように引き締めて縦長にしたかったですね。

こちらは額に勅諭下賜五十周年記念とあり、その下に「五訓の森」と書かれた碑。
五訓(石徳五訓?)とは何かよくわからない。

こちらも摩滅が激しく、丁寧に書かれた字の雰囲気が伝わりにくい。

次回に続きます。

アクセス


〒036-0307 青森県黒石市市ノ町18 黒石神社

参考文献

『難字大鑑』 山田勝美 監修 柏書房

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