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とにかく始めてみる事にしました。

 noteの存在はずっと意識していましたが僕の中にうごめく様々な気持ちは約10年続けてきたXにポストする事で
カタルシスを得ているというか、完結してしまっている気持ちになっていました。事実、Xのポストの140文字スタイルはものぐさな自分にはちょうどよろしく、最近では息をする様に、と言えば少し大袈裟ですが僕の生活内で1つのルーティーンとなっていました。ところが。

 最近そのXのアカウントがロックされてしまい書き込む事はおろか自分のアカウントに入る事もできなくなってしまったのです。衝撃でした。何しろ先ほど書いた様に、僕にはXは生活の一部でしたからまるで長年一緒に生きてきたペットが死んだのにも似た喪失感に襲われました。まぁペットと違ってアカウントは恐らくではありますが復活すると思います。そこはペットとの死別とは違うのですけれども。ただ今現在まだロックは解除されていません。ですから精神的に不安定なだけではなく、ライブの告知(僕は80年代の一時期毎日の様にテレビ等のメディアに顔を出していたC-C-Bというバンドのメンバーをしていまして今も音楽を生業にしています)も絵の注文(もう一つの顔ですが、自分では落書家/ラクガキカ、と称しているのですが簡単に言えば絵を描いてそれを販売しているのです。落書きですがその歴は音楽より長く物心ついた頃から1日たりとも何も描かなかった日はありません。それがただの楽しみだったはずなのに気がつくとまぁ大変ありがたい事に対価を払って買ってくださる方が現れはじめ今では完全に仕事として取り組んでいるわけであります)も発表したり注文を受けたりができなくなるという実害も出て来てしまいました。
 Xには意義申し立てをしているのですが未だロックは解かれず宙ぶらりんなこの気持ち。水に潜った時、外からの音が遮断されて自分の心肺が機能している内側の音だけが響いている感じってわかりますか?今の僕の状態はアレにそっくりなんです。賛同も非難も読めない、そもそも書けないんだから。
 
 僕には一つ確信を得ている一種の真理の様なものがありましてそれは、物事には全て意味がある、という事。だからこの宙ぶらりんにも意味があると考えました。
 あ、そうだ、前からnoteやろうかな?って思ってたっけ、なるほど、この水中に漂っている様な宙ぶらりんな状態の意味はこれだったのか…

 というわけでnote始める事に致しました。皆様よろしくお願い致します。

 ミュージシャン&落書家
            関口誠人

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