見出し画像

人生の恩師「ゆず」

私は現在千葉県に住んでいますが、一時期横浜市磯子区に住んでいた時期がありました。磯子区は横浜市の都心部から電車で15分くらいの位置にあり、住宅街が広がるエリアです。磯子と聞くとある界隈は盛り上がるでしょう。日本を代表するフォークデュオ「ゆず」の出身地なのです。磯子区に住んでいた私は幼少期に「ゆず」に人生を変えてもらいました。ゆずの話をしましょう。

私が小学校6年生の時に、実家の建て替えを行いました。築80年以上が経過し、家として使用することに限界が来ていたことに加えて、私たち兄弟が中学校進学を控え、それぞれの部屋が必要になるだろうということが建て替えの要因でした。

初めて自分の部屋を持った私は、新築祝いに「ミニコンポ」を貰いました。そこからはミニコンポでCDやMDを聞く毎日。ですが中学生が持っているCDも少ないのですぐに飽きてしまいます。そこで私はラジオを聞くことにしました。ラジオへの切り替えボタンを押すと、千葉県民のお耳の友である「Bay FM」が流れてきました。初期設定をした父親がBay FMにしたのでしょう。両親が乗る車では四六時中Bay FMが流れており、小さいころからBay FMが自分の傍にありました。

ラジオ切り替えボタンを2回押すとFMからAMに切り替わります。いつも通りにBay FMを聞聞くためボタンを押したところ、誤って2回押してしまいAMに切り替ってしまいました。AMは雑音がひどく、急に「ガサッーー」という雑音と共に誰かが話している声が聞こえてきました。急な騒音に驚いた私は、再度ボタンを押してFMに変えました。そこからはAMを聞くものかと慎重に操作をするように心がけました。

当時ゆすが好きだった私は、ネットで情報を調べていると、とあることを知ります。ゆずが毎週ラジオをやっているという情報です。その番組は「ゆずのオールナイトニッポンGOLD」。当時毎週火曜日22:00〜24:00まで天下のニッポン放送でやっていました。それを知った私は翌週の火曜日22時にAM1242にチューニングを合わせました。火曜10時の時報が鳴った後、ゆずのサブリーダー北川悠仁の声が聞こえます。そこからゆずの二人の話が始まります。1回目を聞いた私は、すっかり虜になりました。

ラジオを聞いていると耳は塞がりますが、手は開いています。ただラジオを聞いているだけではもったいないので、私は勉強をすることにしました。ゆずのラジオを聞きながら勉強をする日々が続きました。ゆずが火曜日に担当をしているオールナイトニッポンゴールドは月曜から金曜日まで放送されており、それぞれ曜日ごとに担当者が異なります。当時は月:吉田拓郎・坂崎幸之助 火:ゆず 水:広瀬香美 木:大竹しのぶ でした。オールナイトニッポンの虜になった私は、ゆず以外の曜日も聞くようになりました。部活が終わって、ご飯を食べて、お風呂に入って、10時から勉強しながらオールナイトニッポンを聞くという生活がルーティンとなっていました。


いままで勉強なんてしていなかった私は、オールナイトニッポンのおかげで労せずに勉強習慣が身につき、成績がどんどん上昇していきました。しまいには県内でもそこそこ有名な進学校に入学することができたのでした。あの時にゆずのラジオに出会ってなければ、今の自分は存在しないです。あの時に身に着けた勉強習慣が社会人になった今でも私を助けています。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?