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『俺がVRChatで中身が男性の美少女に恋した話』の感想

※この記事は『俺がVRChatで中身が男性の美少女に恋した話』というネット小説の感想です。ネタバレが気になる人は先に小説を読んでください。私がこの小説を読むようになった経緯は前の記事にまとめてあります。

『俺がVRChatで中身が男性の美少女に恋した話』の感想を書く前に一つ言っておきたいのだが、私は文章を読む速度に関しては自信がある。幼い頃から活字中毒で、診察所の待ち時間に壁に貼られたポスターを全部読む程だったし、特にネット小説は中高生時代は暇さえあれば小説家になろうやカクヨムの小説を読んでいたので読み慣れている。そんな私が、このネット小説を読破するのに一時間かかった。

長い文章だからではない。この小説の文字数は約3万字。約10万字程度のライトノベルを一時間以内に読み終える普段の私なら、読破に20分もかからない。

読みにくい文章だからではない。むしろ非常に分かりやすい文章で内容がスラスラ頭に入る。

私がこの小説を読むのにそんなに時間がかかった理由はただ一つ。読んでて途中で心が非常に痛くなったからである。

この小説の内容は要約してしまえば、「現実で何もかも上手くいかない23歳の男が逃避した先のVRChatの世界ですらVRセックスというリア充的行為が蔓延しており、男が何とかVRセックスを出来そうな相手と機会を見つけるが結局上手くいかない」というものである。(VRChatやVRセックスが何なのか分からない人は調べるか私の前記事を読むかして欲しい。)

簡潔にまとめればなんてことのない話である。馬鹿馬鹿しくて笑えすらする。しかしその話のディテールはあまりにも生々しかった。映画監督という「夢」を「追いかけて」大学休学をした主人公の男の歪な自尊心と虚栄心。無視できない絶望的に冷徹で現実的なリアル。逃げた先でも立ち塞がる「童貞」と「非童貞」。捨てられない性的欲望。

私が読んでいて特に辛くなったのは、男がVRChatで仲良くなったAさんの前で自分の辛さを吐露して慰めてもらおうとする場面で、自分の職業を「映画監督」と虚飾してしまうシーンである。その選択は単なる見栄っ張りでしかない。しかし、辛い事を全てさらけ出して慰めてもらおうとする時ですらカッコつけようとしてしまう心理が、自分にもよく理解できるからこそ突き刺さった。そんな選択が信頼関係を築く上で不誠実だと分かっていても、無意味だと分かっていても、自分の中の肥大化した自尊心が弱みを完全に曝け出すことを許してはくれない。いや、そこで弱みを正直に言える人間はそもそもここまで追いつめられるようなことはないのだろう。

この物話は徹頭徹尾「自己責任」で進んでいく。休学を許してくれる家族も、チャンスを与えてくれる映画プロデューサーも、親身に話を聞いてくれるAさんも、みんな悪い人ではない。しかし、展開は悪くなるばかりである。

冷静に考えれば、男の悩みは全て男の責任で、男の世間への恨みは全て筋違いだといえるのかもしれない。しかし、ボタンを掛け違えた男の苦悩を全て切って捨てられる程私は他者に、そして何よりも自分に厳しくなれない。男の持つような自尊心や虚栄心と私も多少なりとも理解できる。

ふざけるな。なんで俺がこんな思いしなくちゃいけないんだ。俺は誰かを傷つけたりしたわけじゃない。(オタゴン『俺がVRChatで中身が男性の美少女に恋した話』カクヨム、2019年、1話)

私も含めてインターネットに比重を置くようなオタクは大概、現実世界でのコミュニケーションに不備を抱えてオタク方面にのめり込むことが多い。その手のオタクは「何かをした」のではなく「何もしなかった」故に世間の人々が一般的に身に着けているコミュニケーション能力や恋愛の段階を踏めないまま大人になっていく。そこで彼らは何か悪い事はしていない。ただ人と上手く関われなかっただけだ。しかしそれが今の社会では致命的な欠陥とされる。それがたまらなく理不尽に感じられる。万引きをして窓ガラスを割ったいたような中学校のヤンキー「ですら」仲間がいて彼女がいて結婚できるのに、何故俺はこんなにも孤独なのか、というような嘆き。実際には、コミュニケーションにおいて他者と仲良くなるためには相手の私的領域に踏み込まなければならず、そこではある程度の暴力性と無神経さが求められる。「完全に」無害な人間とは一切他者と関りを持たない(持てない)人間でしかない。そんなことは誰でも分かっている。でも今更どうしようもないじゃないか。

そして、多くのオタクはこんな怨嗟的なコンプレックスから解放される手段は限られているように感じる。それが即ち「愛されること」である。

愛されることとは、メディアや世間の人間が言うにはどうも「他人→知り合い→友人→恋人(性的関係)」という「普通の人間のコミュニケーションの階段」の最終段階である。であれば、恋人に愛されセックスを経験した人間はそのたった一点だけで、他の何がダメでもまっとうな人間である(と感じられる)。

小説内でも、男は愛されることに大きな期待を抱いている。

今すぐ愛してると叫んで思い切り抱きしめたかった。俺もAさんの全部が大好きだ。誰にも譲らない。他には何も望まない。Aさんがこうして俺の頬を撫でてくれている限り、奨学金も単位数も親の視線も企画書が通らないことも、きっと全部が大丈夫になっていく。(オタゴン『俺がVRChatで中身が男性の美少女に恋した話』カクヨム、2019年、3話)

しかしこの希望は、VRChatという特殊な環境下ではノイズが入る。すなわち、Aさんは美少女のアバターを着た成人男性であること。またそこを無視したとしても、親密な関係もVRChatだからこその距離感なのではという疑念。仮想世界であるが故に仲良くなることが出来ても、仮想世界であるが故に一歩を踏み出せない。

結局その疑念の延長で男は折角のAさんとのVRフェラチオの機会で勃起できない。そしてそのことをAさんにも言えなかった。Aさんとの気まずい関係が続く中で、男は自分が現実で成果を出せばAさんとの関係を修繕し告白する決心が出来るのではないかと考え、映画の企画に打ち込み始めた。人と付き合う上で必要なのは何らかのステータスではなくその人自身に向き合う事なのに、ここでも自尊心が逃げの選択肢を取らせてしまう。結果的にこの選択は何も良い結果をもたらさなかった。男がAさんと疎遠になった一か月半の間で、AさんはVR結婚を果たしていたのだ。

この物語はグッドエンドでは決してない。男は始めて逃避していた、見ないようにしていた現実に向き合うことになる。

どこに行ったって難しいことはたくさんある。上手くいかないし、できない。(オタゴン『俺がVRChatで中身が男性の美少女に恋した話』カクヨム、2019年、3話)

ただ、この物語はグッドエンドではないが、現実と向き合った男の決意はそれ以上の逃避ではなかった。

中身が男の美少女とセックスするその日まで、俺は生きなきゃいけないんだ。(オタゴン『俺がVRChatで中身が男性の美少女に恋した話』カクヨム、2019年、3話)

故に、後味が良いといえなくとも、この物語はバッドエンドではない、と思う。


私は『俺がVRChatで中身が男性の美少女に恋した話』を読み終わった後の衝撃を忘れたくなくて、すぐさまこの感想を書き始めた。一気にこの感想文を完成させられたのは間違いなく小説に込められた熱量に当てられたからだ。熱に浮かされてなければ、正月休みの終わりの夜中にこんな小説を読んで感想を書くことに時間を費やしたことへの後悔を無視できない。きっと明日寝て起きたら頭を抱えて有意義な時間の使い方について今日の自分を説教しているだろう。

この小説自体もそうだが、書き手であるオタゴン氏自体への興味もくすぐられた。オタゴン氏と主人公の境遇がほとんど重なってるってもうこの小説は魂だよこれ(意味不明)。

オタゴン氏ありがとう。VRセックスに乾杯。

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