雑記:大垣城と墨俣城

JR大垣駅から徒歩数分の所にある大垣城は、戦前までは天守閣が現存していたが戦災で焼失し、現在は鉄筋コンクリートで復元されている。

大垣城の天守閣は珍しい四層(四層は「死相」に通じるために好まれなかったと言う)である(二枚目の手前に写っているのは大垣藩主戸田家初代・戸田氏鉄の銅像)。

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大垣市の中心部からから東方へ五、六キロメートル進んだ墨俣町には、豊臣秀吉の出世譚・墨俣の一夜城で知られる墨俣城の伝説(近年の研究では墨俣築城の逸話自体が後世の虚構であるとされる)をモチーフにした模擬天守が建っている。

もとより当時にはこのような天守閣はなかったが、それなりに年月が経っているせいか風景に馴染んでいる。

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また、同じ墨俣町には、この地で平家軍と戦い戦死した義円(源義朝の子で幼名は乙若、源義経の同母兄)の墓と伝承される乱積みの五輪塔もある。

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