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何でもかんでも…
主治医は感じることを何でも褒めてくる。
イライラしたら、よくイライラを感じれてますね。
疲れたと言ったら、よく疲れを感じられてますね。
嫌だ!と言ったら、よく嫌なことを感じれてますね。
何でもありかよ…。
それに対して「何でそんなこと言うの?」って言うと、👨🏻⚕️「全部できているから褒めてるんです」って言ってくる。
一応褒められた喜びも感じてはいる。
だけど何でもかんでも褒めてくるから ん?となる。
主治医が褒めてくる中身には、
褒められても嬉しくない内容もよく含まれる。
含まれてても、
「事実を褒めているだけです」とすんなり言われる。
分かってるのは、感じることは悪いことじゃない。
今までは本来感じるべきものを全部切り離してた。
👨🏻⚕️「身体感覚も精神的なものもあなたなら
何でも切り離せちゃうんですよ」
前に主治医からそう言われた。
感じるようになったことで、苦手なものが増えた。
大きな音や同世代…今まで一緒に生活していたはずのものが、感じるようになったことで分かりやすい解離が起こされるようになった。
“分かりやすい解離”とは、脱力発作など。
今までは…
苦手なものを“苦手”として処理ができなかった。
苦しいものを“苦しい”として処理ができなかった。 怖いものを“怖い”として処理ができなかった。
全部全部体が抱えられず、切り離してた。
だから大きな音とかも、もともとこの体は苦手だったらしい。苦手だったけど、苦手として処理できなかったことで 体が反応せずにいた。
今は分厚い皮が一枚取れた気分。
その一枚が守ってたものを、取り外された体が感じるようになった。
説明難しい。
感情や感覚を切り離すことも、もちろん解離。
だから私は何でも解離状態…
だから、前に“慢性的な解離”と言われた。
感じることってすごく苦しい。
イライラすることも体力を使う。
絶望するのも疲れる。
感じるようになってよく思うのは、
“前の方が良かったんじゃないか?”というもの。
私は以前の方が活動できてた。
感じるようになるものが増えると増えるほど、生活ができなくなっていった。
それも主治医に言った。
すると、👨🏻⚕️「確かに以前の方が活動できていたかもしれないけど、それは長くは続かないもの。絶対に限界が来てもっと酷いこと(自殺未遂など)が起きるかもしれない」と言われた。
あー(納得)って感じだった。
感じることは悪いことじゃない。
これから先死ぬ気がないんだったら、必要なこと。
感じれた方が人間みたいだと思う。
もっと余裕を持って感じれるようになったら、
きっと生活が楽しくなると思う。
ちょっと文章の締め方が分からないけど、
色んなものを感じれるようになりたい!!!!
主治医からの見え方はいつも面白いなって思う。
何でイライラすることを褒めてくるの…って😂
だけど、全部全部必要なことなんだね。
死ぬ気ないから頑張りたい( ˶ー̀֊ー́ )੭"
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