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1.1.5 東地中海世界の諸民族① 世界史の教科書を初めから最後まで

次は、シリアパレスチナの人たちに注目してみよう。

メソポタミアとエジプトの”間”に

この2つのエリアは文明の栄えていたメソポタミアとエジプトをつなぐ位置にあるから、両者をつなぐ ”通路” として繁栄。やがて特色ある民族が生まれていった。

現在、このエリアにはレバノン、シリア、イスラエル、パレスチナ、ヨルダンといった国々があるね。

地中海の穏やかの気候の影響を受け、農牧業に適する植物・動物も多かったので、農業にも恵まれている。

でも、背後に山があって、平地はわずか。すぐ海だ。

しかもちょっと内陸に出れば、乾燥した草原や砂漠が広がる。


だから、この地域の海岸付近の人たちは、農業のかたわら漁業や交易にいそしんだり、乾燥地帯を股にかけた交易をおこなったりと、商業のエキスパートとして生きる道を選択していくことになる。


まずカナーン人という人たちが現れて商業活動をしていたことがわかっているんだけど、彼らのもたらす富は周辺のエジプトやメソポタミアの王国のターゲットとなり、港や都市をめぐる激烈な争奪戦がしばしば起きた。


その後、前13世紀ころ(今から3200年くらい前)に、地中海の西の方面から、さまざまな民族が ”難民”のような状態となって押し寄せて、各地を荒らし回った。

彼らは「海の民」と呼ばれ、エジプトやメソポタミアの王国のほとんどが大きな被害を受けた。

すると、一時的にシリアやパレスチナ地方は ”権力の空白地帯”に。




船乗り民族―フェニキア人


こうして歴史の表舞台に登場することになるのが、フェニキア人だ。


地中海沿岸各地にも支部となる都市を建設し、海上交易を主導した。
ふるさとであるシリア沿岸部には平地が少なく、農業には向かない。
だから人口が増えると、船を出して移住していったんだ。
こういった都市を植民市という。


あちこちに拠点があったほうがビジネスもはかどるもの。
彼らは自分たちの言葉を「フェニキア文字」という、アルファベット方式の文字で記録した。これがやがて「ローマ字のABC」の元になっていく。

彼らが盛んに取引したのは、その名の由来にもなっている貝からとれる紫色の染料だ。

貝紫色(かいむらさきいろ)とは澄んだ赤みの紫で、英語では王者の紫、帝王紫といわれるロイヤルパープルといいます。
フェニキアのティルスで多く生産されたことからティリアンパープル、「フェニキアの紫」ともよばれ、born in purple(紫に囲まれて誕生する)という英語は「高貴な家柄に生まれた」という意味を指します。




最新鋭の船によって、現在のイギリスはおろか、アフリカ方面にまで進出していたのではないかとも伝えられている。

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しかし、そんなフェニキア人も、船の作りすぎによる森林破壊や、後に紹介するアッシリアの侵入によって衰退してしまうんだ。

過去の栄光をたたえる意味も込めて、現在のレバノンの国旗には船材として使われたレバノン杉のデザインが配置されているよ。レバノン杉を積み出す対価として、エジプト産のパピルスという紙が積み出された。



『聖書』のことを英語で「バイブル」(Bible)と呼ぶのは、フェニキア人の代表的な港であるビブロスから「パピルス」(紙)が輸出されたことに因んでいるという説もあるんだ。

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なお、2020年7月にレバノンの首都では大爆発事故という痛ましい事件が起こった。ベイルートは、先ほど紹介したビブロスの南方にある都市だ。


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ラクダ商人―アラム人

同じように、内陸の乾燥エリアの商業で発展していった民族もいる。

アラム人だ。

アラム人は、ラクダによるキャラバン(隊商貿易)を組織的に展開した。

中心都市はダマスクス

長い歴史を持つ中東有数の美しい古都だったんだけれども、現在は2011年に勃発したシリア内戦の影響がおおきな爪痕を残している。

西アジア一帯では、商業分野だけでなく政治や日常生活においても「アラム語」は広い範囲で使われるようになっていったんだ。

それにともない彼らのアラム文字は「楔形文字」に代わって、オリエント世界で通用する国際語(リンガ・フランカ)となった。

リンガ・フランカとは共通の母語をもたない者どうしが使う、広い範囲で通用する言葉のことだ。

こうしてアラム語は、ユーラシア大陸の東方向のさまざまな民族の文字のルーツをなっていくことになる。たとえばモンゴル文字もルーツをたどっていくと、このアラム文字に行き着く。


ちなみに、あのイエス=キリストの話していた言葉もアラム語だったんだよ。


このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊