見出し画像

ドメスティケーションから大加速へ "今"と"過去"をつなぐ世界史のまとめ 第2回

僕らは今、なぜこのような世界を生きているのだろう。
ばらばらになったり、まとまったりしながらも、とりあえず仕方がない、というように動き続けているわれわれの社会は、どのようにして今ある形になったのだろう。
一個の確固たる世界があるようでいて、そういうわけでもなく、区切られているようでいて、そういうわけでもない、あいまいなまま、はっきりとしないまま漂うこの世界は、一体どこに向かっているのだろうか。
"今"と"過去"をつなぎながら、世界史を、ゆるく、なんとなく、まとめていきます。


紀元前12000年〜前3500年

農業の本質は「生物の世界」から「人間の世界」を分離し、人間によって生物をドメスティケーション(家畜化)することにある。ドメスティケーションの語源であるdomusはラテン語で「家」という意味である。要するにドメスティケーションとは、動植物や細菌・ウイルスの側から見れば、「生物の世界」の中に建設された「人間の家」の中で生きるということだ。歴史家のユヴァル・ノア・ハラリの述べるように、逆の立場から見ると、コムギに魅了された人間の側こそがコムギによってドメスティケートされたと言うべきかもしれない。

現在の「人間の世界」がウイルスをはじめとする「生物の世界」から区画されていないのと同様、「人間の世界」が「生物の世界」から明瞭に区画されるようになったわけではない。だから人間が招き入れなくても「生物の世界」からの侵犯は日常的に起こる。ネズミなどの齧歯類、コウジカビ、ダニ、ノミ、イヌ、メヒシバなど、さまざまな生物が「人間の家」を訪問した。人間にとっても彼らにとってもプラスになるような相利共生の関係、あるいは中立の関係を確立した生物は、現在でも当たり前のように「人間の家」に同居しているものだ。

もっとも異なる種同士の相利共生というように視野を広げれば、同様の営みは人間だけに限ったことではない。だが人間には道具の使用や仲間とのコミュニケーション、知識の世代間伝達といった武器があるため、ほとんどの生物に対して有利に立つことができた(ただし牙を持つ生物、有毒生物、大きすぎる生物、小さすぎる生物に対しては、現在に至るまで劣位である)。

また人間と生物との関係は固定的なものではなく、「地球の世界」(土、岩石、大気、水など)との相互作用によって、思いもよらない形で変容してきたし、これからもしていくだろう。生物と生物の関係の中にも、無数の想定外のつながりがある。束の目が細かければ細かいほど、その世界は安定する。ドメスティケートされる度合いや、家畜 / 野生の区別も種によってさまざまだ。

なお世界中の人々が、この時期に一斉に農業を始めたというわけでもない。必要があれば始めるし、必要がなければ狩りや採集が続けられた。導入しようと思っても、その場所に都合の良いパートナーが見つからなければうまくいかない。「そこにコムギの野生種が自生していた」というような偶然にも左右される話なのだ。


***


ドメスティケーションの例を見てみよう。第二次世界大戦中頃から「東南アジア」と呼ばれるようになったエリアに、東ティモールという国がある。植民地時代の過去を引きずる紛争を経て、2002年に独立したばかりの新しい島だ。熱帯雨林気候のこの島で、紀元12000年前後にキャンドルナッツのドメスティケーションが始まった。ナッツは油を多く含むため、松明(たいまつ)として使われたほか、石鹸や軟膏、漁具の防腐剤として使われた。また木材のほうは小さなカヌーや彫刻に、樹液はニスや樹脂に、ナッツの殻は装飾品(特にレイ)、魚のフック、おもちゃ、黒染めの製造に、樹皮は薬や繊維に使われたほか、調味料としての利用価値もあった。

東ティモールを含めた熱帯エリアでは、ほかにタロイモやバナナ、サゴヤシなどがドメスティケーションされた。バナナは農学者の中尾佐助(1916〜1993年)が「最古の農作物」とするほどの歴史を持つ。これらは長期間の貯蔵には向かない。したがって大量に生産してもダメになってしまう。収穫時期も一定しないから、貯蔵よりも分配に重きが置かれる。同様の作物を栽培するオセアニア地域では、代々世襲する強大な国王よりも、ビッグマンと呼ばれる首長が氏族ごとの支持を得て集団をまとめることが多い。「貯め込む支配者」よりも「ほどこす支配者」のほうが好まれるわけだ。そういうところでは、資源をやみくもに増やすのではなく、必要な分を継続的に取り出していくことに重きが置かれた。数種類の作物を、年に数回の収穫に合わせて汗水垂らして生産するという農業イメージとは程遠い。

画像1

キャンドルナッツで松明をつくる Josh Trindade撮影 CC BY-SA 4.0hide terms File:2015 Baha Liurai - candle nut sticks.JPG

画像3


サゴヤシを加工する I, Toksave CC BY-SA 3.0 File:Sago Palm being harvested for Sago production PNG.jpg


***


一方、エジプトやメソポタミアのような乾燥エリアにおいては、家畜や奴隷を利用した大がかりな農業が発達した。家畜とはドメスティケートされた大型哺乳類、奴隷とはドメスティケートされた人間のことである。農業によって栄えた文明というと、通常こちらのイメージが先に浮かぶのではないだろうか。

画像3


われわれは普通「古代エジプトやメソポタミアで農業が始まった」と習う。しかしそれ以前にも、東ティモールのキャンドルナッツのように、世界各地で動植物のドメスティケーションは試みられていた。古代エジプトやメソポタミアがそれと一味違うのは、そこでは家畜や奴隷によって土が耕され、必要に応じて河川や地下水から水を引き、大がかりな収穫が目指されたことにある。乾燥した気候で「人間の世界」を樹立するには、「地球の世界」を改変することが不可欠だ。これらの地域では、「人間の世界」が東ティモールのそれよりも「生物の世界」から明確に線引きされることになる。

平原に生える草は雑草とみなされ「駆除」の対象となり、そこに数種類の作物の種が撒かれていった。大量の収穫物に目をつけた権力者は徴税のための組織やイデオロギーを生み出し、軍事的に力を付けた。こうして血縁関係にある小規模な人々が寄り集まって形成したローカルな定住集団が、それを超える大規模な定住集団へと拡大していった。

集団のサイズが大規模化すればするほど、他者(人間や動植物、そして土地)に対する痛みは縮減していくものだ。ローカルな「まとまり」を基盤とし、無痛化された「まとまり」が、人々の身内関係に逆立し、それが「国家」という組織に発展していく。ただ初期の国家の支配様式のあり方は、現代世界に比べるとまだまだ素朴で脆弱だった。土地の呼び声、動植物の痛みを感じるセンスも、まだまだ根強く共有されていたし、国王も「地球の世界」「生物の世界」とのつながりと階梯の中で、みずからの権威を主張した。

大規模定住世界が国家化したときに問題となるのは、外部の「人間の世界」との関係だ。定住という囲い込みに逆らい草原を生活の糧とする牧畜民・遊牧民は、大規模定住社会を形成する農耕民にとって「駆除」の対象となったのである。彼ら牧畜民・遊牧民もまた、家畜をドメスティケートすることで「生物の世界」の中に「人間の世界」を農耕民とは別の形で打ち立てていた人々であった。限られた土地をどう利用するかをめぐり、両者の対立は必至となる。暴力的な接触も少なくなかった。

しかし定住社会にとって「外の世界」からもたらされる資源は貴重である。そこで財のやりとり(交易)が始まり、遠く離れた地点を人や物が移動するようになる。グローバル化のルーツはこのへんに遡ってもよいように感じる(19世紀以降のグローバル化を「大文字のグローバル化 the (Modern) Globalization」と呼ぶならば、それ以前にいくつもの「小文字のグローバル化a globalizaion」が折り重なるように存在していたと言ってよいだろう)。


***


1950年頃から、「人間の世界」に、「生物の世界」「地球の世界」からあらゆる物が大量に採取されるようになった。アメリカの化学者ウィル・ステファンはこれを「大加速」(the Great Acceleration)と呼ぶ。あらゆる指標がここまでのレベルで急変しているのは、完新世以降の人間の歴史で例のないことであるという。(ウィル・ステファンによる。Steffen, Will; Broadgate, Wendy; Deutsch, Lisa; Gaffney, Owen; Ludwig, Cornelia (April 2015). "The trajectory of the Anthropocene: The Great Acceleration". The Anthropocene Review. 2 (1): 81–98.)。

画像4


この時期(前12000年〜前3500年)に世界各地で始まった農業は、19世紀に化学肥料とトラクターが登場することで激変。20世紀に入ると巨大ダムのような近代的灌漑インフラによって、人手をかけずに「地球の世界」「生物の世界」の許容範囲を超えるだけの植物を採取することが可能となっていった。それとともに世界人口は急増し、食料供給の増加がそれに応えた。ローカルな結びつきが切断され、持続可能性は失われていった。

先ほどの東ティモールは、16世紀以降ポルトガル人の植民地支配下に入り、白檀(びゃくだん)という香木が栽培・輸出された。しかし無秩序な栽培によって島は裸山だらけとなり、土壌が流出した。それでもコーヒー、サトウキビ、ココナッツなどの輸出向け栽培は続けられ、キャンドルナッツも輸出向けに生産された。しかし紛争によって砂糖やコプラ(ココナツからとる油)の加工工場は破壊され、島にはコーヒー畑が残された。

植民地化は「人間の世界」が別の「人間の世界」をドメスティケートするだけでなく、その地の「人間の世界」が関係する「生物の世界」「地球の世界」の総体を痛めつける営みだった。こうした「しくじり」は、「人間の世界」が「生物の世界」「地球の世界」から遊離しすぎてしまったがために起きた。

たしかに「人間の世界」を打ち立てるという点で、「農業」にはその開始時点から「生物の世界」「地球の世界」からの遊離という側面があった。しかし近代以前においては、食糧供給が人口増加に追いつかないというブレーキ(マルサス的危機)が存在していたため、生態環境の限界を超える発展には歯止めがかけられていたのである。

だからこそ19世紀以前においては、農業生産をアップさせようと思ったら、人口の増加に対応してフロンティア(未開拓地)を拡大させるしかなかった。中国における東北地方・四川、南北アメリカ大陸、ウクライナや東ヨーロッパ、あるいは世界各地の島々。余剰人口はこうしたフロンティアの開拓に押し出され、食料・商品としての農産物生産にあたった。その中で、サトウキビ栽培のため丸裸となったカリブ海・大西洋の島々や、シイタケ栽培のためにはげ山となった四川の山々など、各地の「生物の世界」「地球の世界」は限界にぶち当たることとなる。

しかしその限界を取っぱらったのは、18世紀末以降発達した、化石燃料のエネルギーとしての活用だった。蒸気機関(18世紀後半)は内燃機関(18世紀後半)に発達し、トラクターが生まれた。産業の発展が科学技術研究と結合し、化学肥料や電動水汲みポンプが開発され、土地の容量をはるかに超える食料の大量生産が可能となった。

その延長線上に、1950年頃以降の「大加速」(人間の世界が遊離しているかのような夢を見せた時代)がある。

加速にブレーキをかけるには生産そのものを減らすか、現状の生産物の不平等な分配を是正するしかない。反対に加速をさらに加速させる方向性としては、土(地球の世界)と植物・動物(生物の世界)を切り離すテクノロジーを志向する研究開発が進んでいる(いわば「土なき人間の営み」である)。このように考えてみると、今回の時期(前12000年〜前3500年)の農業の開始が、「人間の世界」のみならず、この惑星全体のさまざまなアクターをいかに変化の渦に巻き込んでいったか、そしてわれわれ「人間の世界」そのものをいかに変化させていくことになるか、お分かりいただけると思う。

このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊