【図解】約700万年前~前12000年 これならわかる! ゼロからはじめる世界史のまとめ①
「【図解】ゼロからはじめる世界史のまとめ」の改訂版です。
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これから世界史を26ピースに「輪切り」して、一緒に人類の歴史のストーリー展開を眺めていきたいと思います。(イラスト from 「いらすとや」)
われわれとは別の種類の「人間」
人間ってもともとはサルだったんですよね?
―難しい質問だね。
まあどちらかというと、「サルのグループの中に人間が含まれている」といったほうがいいかな。
生き物には、自分の「コピー」を子孫として残すことができる力がある。
でも、「コピー」は必ずしも正確なものではなくて、自分の体の情報が書き込まれた「設計図」(DNA)は、写し取るときに「誤差」が生じることがあるんだ。
そのちょっとした「誤差」のことを突然変異と呼ぶよ。
その突然変異がたまたま周りの環境に適したものだったとしたら、その生き物にとって有利に働くよね。
すると、はじめは突拍子もない「突然変異」だったものでも、生きていくのに有利な特徴ならば、子孫へと受け継がれていく場合がある。
このようにして生き物は少しずつ進化していくと考えられているんだ。
じゃあ、人間もそうやってサルから進化していったということですか?
―そうだよ。
ただ、どこまでがサルで、どこからが「人間」といえるかという線引きには、微妙なところがある。骨の化石で判断するしかないしね。
われわれと同じ種の「人間」につながるサルの種は、もともと熱帯雨林に生息していたと考えられている。
どうしていちいち「われわれと同じ種」って言うんですか?
―「人間」って1種類だけじゃないんだよ。
えっ!?
―今までわれわれとは違う種の人間が、いくつもいたんだ。
数え方にもよるし、いまだ発見されていないものもあるけど、だいたい20種ほどあることが分かっている。
ビッグフットとか、イエティとか...?
―あ~…。
そうそう、そういう ”未確認生物”も、われわれとは別の種の「人間」の生き残りだっていう説もあるよね(笑)
これら「人間」が登場するまで、サルは森の木の上で暮らしていた。
今でもアフリカの熱帯雨林には数多くのサルが木の上で暮らしているよね。
でもそのうち、森からサバンナに降り立って生活するようになったのが、今のわれわれの種につながる「人間」だ。
じゃあ、最終的に生き残ったのが、われわれの種っていうことですか?
―そういうわけだ。
じゃあ、「アウストラロピテクス」ってつまり、「絶滅してしまった「人間」」ってことですね?
―残念ながら、そういうことになる。
アウストラロピテクスは、今から400万年前頃のアフリカに住んでいた「人間」(注:猿人)の一種だ。
どうして猿じゃなくて人間っていえるんですか?
―化石の特徴から、二本足でまっすぐ立っていたとされるからだ。
石を割って道具も作っていたと思われる。
でも、すでに絶滅してしまっているから、われわれとは別の種類の生き物だ。
つまり、アウストラロピテクスとは別の「人間」のほうが、環境に適応することができたということですね?
―そうだよ。
実は最近では、もっと昔の700万年前に生きていた「人間」といえる種類の化石(注」サヘラントロプス)がやはりアフリカで見つかっている。
しかし二足歩行していたか確証はなく、議論は続いている。
わからないことだらけですねえ。
―どの時点で「猿」と「人間」がはっきりと分かれたのか? その謎もまだ解明されていないんだ(猿と人間をつなぐ鍵となる証拠を「ミッシングリンク」という)。
かつては「人間はヨーロッパやアジアで現れた」と考えられていたこともあったんだよ。
どうしてそんなふうに考えたんですか?
―もともと古い時代を研究する学問はヨーロッパで発達していったんだけど、そのヨーロッパの人たちが信仰していたキリスト教が影響しているんだ。
キリスト教の世界観ではアフリカ大陸はあくまで”脇役”。
アジアとヨーロッパが”主役”だ。
かつてのヨーロッパの人たちの多くは、アフリカで人間が誕生したなんて夢にも思わなかったんだ。
しかし20世紀に入りアフリカ大陸で証拠となる化石の発掘が相次ぐと、次々に定説がくつがえされていったわけだ。
『聖書』の言葉が一字一句 ”絶対的に正しい”と考える人たちにとっては、「サルから人間が進化した」という考えは信じがたいものに映る
そんな流れがあったんですねえ。でも、どうしてそんな昔の年代を測定できるんですか?
―いろんな測定法があるけど、いちばん正確なのは放射性物質の性質を利用するやり方だ。
これまでにわかっていることは、アウストラロピテクスがすでに絶滅していなくなってしまったこと。
そして、彼らのDNAは別の「人間」の種に受け継がれ、いくつかの「人間」種が枝分かれしていったこと。
さらに、彼ら(注:猿人)がアフリカから外の大陸に出ることはなかったということだ。
しかしその後、われわれに近い種類の人間(ホモ属)が現れることになる。
いつ、どこでですか?
―約240万年前のアフリカだ。
やっぱりアフリカなんですね。
―彼らは、それ以前の猿人と異なり、主に思考や感情をつかさどる脳みその部分(注:大脳新皮質)の大きさが一段と大きく、アフリカの外に移動し、火も使えた。
火というテクノロジーを手にした人間は、猛獣を追い払うことが可能になり、地上で寝ることもできるようになった。
さらに食べ物の加熱も可能となり、料理ができるようになった(注:調理仮説)。
骨の特徴をみてみると、おそらく言葉を話すことができたらしい。
チンパンジーも「鳴き声」によるコミュニケーションをとることができるけど、人間の「言葉」に比べるとはるかに情報量が少ない。
骨格やのどの構造のせいで、音にバリエーションを持たせることができないからだ。
複雑な情報を伝えることができるようになったわけですね。
―そう。言葉によるコミュニケーションをとることが可能になったことでチームワークが高まり、情報を子孫に伝えることができるようになった。
サルだったら何かいいアイディアがあっても、仲間のサルに伝えることは難しく、しかも子どもや孫に伝えることができない。
でも人間には、それができるようになったわけだ。
喜びや悲しみも、言葉や歌にのせて他人とシェアすることができる。さまざまなよくわからないことに、自分たちで意味を付けることもできるようになった。
たとえば、相手が見たこともないものを「言葉なしで」説明するのって難しいよね。
身振り手振りだけでは限界がありますね。「今ここにあるもの」ならまだしも…。
―「今ここにないもの」の説明は難しいよね。
言葉がなければ「空想」の説明も難しい。
つまり、「自然そのもの」だけではなく、そこに異なる「意味」や「イメージ」や「夢」を加えることができるようにもなるわけだ。
こうして人間は、単なるサル以上の存在になっていくことになる。
ホモ・サピエンスの登場
―さて、「人間」が出現したころの地球は、平均して今とは比べものにならないほど寒かった。
そんな中、アフリカで進化した人間の一種が、アフリカの外に移動する。
彼らは寒いヨーロッパの環境を生き抜いた結果、ネアンデルタール人という脳みそが一段と大きな人間に進化した。火・言葉を使えるし、「死んだらどうなるか?」ということまで考えられたらしい。お墓が残っているからだ。
一方、アフリカに残って進化した人間の一種が、われわれだ。
正式名称をホモ=サピエンスという。ネアンデルタール人よりも脳みそは小さいんだけれども、複雑なことを考えるのが得意だった。
ネアンデルタール人とわれわれホモ=サピエンスは、極寒の気候(20万年前~12万年前)を生き抜き、いったん気候は温暖化。
この2種類の人間は一時期「共存」していたんだよ。
ネアンデルタール人が、ホモ=サピエンスに進化したわけじゃないんですね。
―そうなんだ。別のルートをたどったと考えられている。
われわれホモ・サピエンスとネアンデルタール人との間に「混血」もあったことが次第にわかっているよ。
ほかにも、ネアンデルタール人から分岐した「デニソワ人」の遺伝子も混ざっていることがわかっている。
ネアンデルタール人の顔はこんな顔?(Neandertaler reconst.jpg wikicommonsより)
えっそうなんですか!?
―ネアンデルタール人とデニソワ人との間の混血があったんじゃないかという説も出てきている。
でも、だいたい7万年前くらいになると、ホモ=サピエンスがネアンデルタール人を圧倒し、ネアンデルタール人もデニソワ人も絶滅してしまう。
ホモ=サピエンスとの戦いがあったんじゃないか?とか、火山が大爆発してネアンデルタール人の食料がなくなったんじゃないか?とか、さまざまな説があるけれど、ハッキリしていることは、「最後にわれわれが生き残った」ということだ。
ホモ=サピエンスはコミュニケーションをとるのが得意で、イヌとともに集団で狩りをして大きなゾウなどを捕まえていたようだ。寒さ対策のために服も着ていたし、投げ槍(やり)も発明している。
最後の氷期が地球を襲う中、ホモ=サピエンスは獲物を追ってアフリカから世界各地に進出した。
アフリカから北に向かった人たちはヨーロッパにたどり着いた。
ユーラシア大陸を東に向かった人たちのうち、インドのあたりから海の世界に進出した人たちもいた。最終的にオーストラリアにまでたどり着くことになる。
その過程で、同じ種類とはいえ気候によって肌の色などの特徴が変わり、黒人や白人といった人種が生まれていった。
黒人と白人、それに日本人は、みな同じ種類なんですね?
―まったく同じ種類だ。身体的な見かけが似通っているだけで、人種の違いによって優劣はないよ。
―じゃあここからは、エリア別に当時の様子をみていこう。
◆約700万年前~前12000年のアメリカ
アメリカには人間はいますか?
―人間はアフリカで生まれて、そこから全世界に広まっていった。この時期の南北アメリカ大陸にはまだ人はいないよ。
◆約700万年前~前12000年のオセアニア
―オセアニアの様子をみてみよう。
「オセアニア」ってどこですか?
―ユーラシア大陸と、南北アメリカ大陸に囲まれた海のエリアのことだよ。
人間がこのエリアに足を踏み入れたのはだいたい6万年前のことだといわれている。
船を使ったということですか?
―使った人もいたのではないかと言われている。
火山島が多いから噴煙(ふんえん)を頼りに移動したのではないかな。
でも実はこの時代には、ユーラシア大陸からオーストラリアまで歩いて移動することができたんだ。
つながっていたんですか?
―そう。ユーラシア大陸の東南(北を上にして右下)から、今のインドネシアを通ってニューギニア島のあたりからオーストラリアまでがくっついていた時代があったんだ。
でも、その後の地球温暖化によってこの「海の通路」が切り離されると、オーストラリアは「ひとりぼっち」になってしまう。つまり、外の世界との交流がほとんどなくなるんだ。
◆約700万年前~前12000年のアジア
―アジアを東(北を上にして右)からみてみよう。
アジアってどのあたりの地域ですか?
―一番大きな大陸があるよね。これがユーラシア大陸だ。
その西(北を上にして左)の端っこが「ヨーロッパ」というのだけど、それ以外の東の部分が「アジア」だ。日本も「アジア」に含まれるよ。
この時代には東アジアにも、アフリカからわれわれと同じ種類の人間が渡って来ている。今の中国の首都ペキンで代表的な化石が見つかっているよ。
今から4万年前には朝鮮半島から日本にも移動したようだ。
南アジアにも人間の生活した跡が見つかっている。今でいうインドのあたりだ。
人々はどうやって暮らしていたんですか?
―そこにあるものを取って食べていたんだよ。
でもいくつかの場所では、かなり早い段階から穀物(実が食べられる植物)を育てていることで知られている。
西アジア(北を上にして左の方)の人間もその一つだ。
ふつう植物の実っていうのは子孫を残すために茎(くき)から落ちてしまうものだけれど、たまたま「実を落とさないタイプ」の個体どうしをかけ合わせ、「実が茎についたままのタイプ」を品種改良していった。こうすれば収穫がラクだからね。
だんだん「実がたくさんなるタイプ」とか「乾燥に強いタイプ」もつくられていくようになるよ。
この時期の終わり頃には石の臼(うす)も見つかっているから、実をくだいて粉にして、水分を混ぜてコネて発酵させると…
パンですか?
―そのとおり。それにちょっと工夫するとお酒をつくることもできるようになるね。
ほかにも「狩り」をする代わりに、動物たちを囲い込んで繁殖させる技術も開発されるようになっていく(注:牧畜)。
西アジアには、ヒツジ・ヤギ・ラクダのような、人間にとって都合の良い動物がもともとたくさん生息していたんだよ。
じゃあ人間たちは「狩り」から「牧畜」にライフスタイルを変えてしまったんですか?
―どこかの時点でピタっと「狩り」をやめて「牧畜」にチェンジした、っていうわけではないんだ。
農業や牧畜は、長い時間をかけて、それぞれの地域の自然に合わせる形で実践されていったんだ。
例えば、オセアニアのニューギニア島というところでは1万年も前からイモの農業をやっていたようだ。
この時期の最後にかけて、「最後の氷期」が地球を襲った。
この寒い時期を抜け、気候が変動していく中で、人間たちは食料確保のために自分たちのライフスタイルを変えていくことになるんだ。
これについては次の時期で見ていくことにしよう。
◆約700万年前~前12000年のアフリカ
―アフリカは「人類の揺籃(ようらん。ゆりかごのこと)の地」。
そのことを化石が発掘される前から予言していた科学者がいる。
チャールズ・ダーウィンだ。
どうしてわかったんですか?
―人類の祖先にあたる類人猿がアフリカに分布していたからだよ。
人類の生まれ故郷ってことはわかりましたが、アフリカって正直遅れているイメージがあります。
―うーん、「アフリカが遅れている」っていうイメージと実態は、ほんの数百年の間につくられていったに過ぎないよ。
でもどうして現在のアフリカって貧しい国が多いんでしょうか?
―それを解く鍵が、世界史の勉強にあるんだよ。
◆約700万年前~前12000年のヨーロッパ
―アフリカからヨーロッパに移住したホモ=サピエンスは、各地の洞窟の奥に壁画を残している(注:洞窟絵画)。
世界最古の美術の一つだ。「狩りが成功しますように」というお祈りに使われたらしい。
美術を始めたのはヨーロッパ人ってことですね!
―ううん、他の地域でも同じような絵画は発見されている。
どんな思いでこういう絵を残したんでしょうね?
―人間には、自分の頭の中にあるイメージや心の中の感情を、ほかの人と「シェアしたい」という思いがあるんだね。
言葉があるからですね。
―そう。
言葉があれば、情報を子孫に伝えることができるし、「ピンクのゾウ」のようなたとえ想像上のものであってもほかの人と共有することができるよね。
ホモ・サピエンスが寒いヨーロッパを生き抜くことができたのも、こうした絵を囲んでおこなわれた儀式のおかげだったのかもしれないね。
質問があります。ヨーロッパの人たちとアフリカの人たちでは肌の色が違いますよね。両方とも同じホモ・サピエンスなんですか?
―同じホモ・サピエンスという種に違いはないよ。
日射量の少ない高緯度環境に適応して「薄い色の肌」となったのがヨーロッパの人間たち、多い低緯度環境に適応して「濃い色の肌」になっていったのがアフリカの人間たちだ。
アフリカの人間たちが全員「濃い色の肌」を持っているわけじゃないし、「肌の色」というのはあくまで外見上の特徴にすぎない。外見上のことでこだわるのはあまり意味のないことだけれど、人間は臆病なものでどうしても「味方」同士でまとまりたがる傾向がある。「敵」と判断した相手に対しては、たとえ同じ人間であろうとも容赦なく牙をむく。それが残念ながら人間という動物が歩んできた道のりだ。
その後の長い歴史の中で、さまざまなグループが故郷を出て移動をしていった。その結果が今の世界だ。
世界史の流れに従って、人類の多様性はしだいに高まっているといえそうだね。
このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊