見出し画像

世界史の教科書を最初から最後まで 1.2.5 スパルタ

軍国主義ポリスのスパルタ

ギリシア人のうち、ドーリア方言を話すドーリア人は、ペロポネソス半島を侵略してポリスを建てた。

ペロポネソス半島という今にも噛みそうな名前の半島は、ギリシャの南のほうに突き出た「熊の手」のような半島の部分だ。

画像1

ペロポネソス半島のうちラコニア地方に建てられ、もっとも有力となったポリスをスパルタという。
先住民は奴隷ヘイロータイ。英語だとヘロット)身分となり農業に従事させられた。

少数のドーリア人が大多数の奴隷を支配するには、支配層であるドーリア人が一致団結している必要がある。

”スパルタ教育”の語源ともなった、幼少期からの男女別の厳しい訓練と厳しいルールが定められたのはそのためだよ。

こうした国制を定めたのは伝説上のリーダーであるリュクルゴスという人であったと伝えられる。
ドーリア人の中に少しでも行き違いがあると、そのすきに奴隷が反乱を起こすかもしれないからね。

ドーリア人の中に経済的な格差が生まれないよう、商工業は他のポリスの外国人(周辺の民、に任せることになった。
お金も禁止し、土地も平等に分配された。
外国の影響によって国が乱れることを警戒し、鎖国政策もとられたよ。

まさに、奴隷を支配するための”平等”政策だね。


こうしてスパルタは、前6世紀半ば(今から2550年ほど前)までにはギリシア最強のポリスとなるに至った。

しかし、そんなスパルタに有力なライバルが立ちはだかる。

アテネというポリスだ。


当時のギリシアにおける典型的な戦法は、鎧(よろい)を着た兵士(重装歩兵)が整然と四角形の列をなして槍(やり)を持ち、塊になって敵に突進する密集隊形(ファランクス)。

アテネもまた、この重装歩兵による密集隊形戦法を着々とパワーアップさせていき、スパルタにとって有力なライバルとなっていくことになるのだ。

このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊