世界史の教科書を最初から最後まで 1.3.5 3世紀の危機
奴隷を労働力として確保したり、穀物を輸入したりと、領土が広いことにはプラス面もある。
しかし当然、広い領土を支配するためのコストがかかるというマイナス面もあるよ。
五賢帝最後のマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝の治世の終わり頃から、そのマイナス面が目立つようになっていく。
都市が衰えてしまった
一つ目は都市の衰退だ。
広い領土を支配するために都市には重い税が課され、帝国の西方の諸都市が衰えはじめてしまう。
支配を任されていた都市の上層市民は都市を去り、田舎に豪邸を建設。
大農園(ウィラ)を経営することで自分たちの資産を守ろうとした。
都市の下層市民の中には、田舎の農園に逃げ込む者も現れた。彼らは、小作人(コロヌス)として生きる道を選択。
この生産方式を小作制(コロナトゥス)というよ。
しだいにローマ帝国外部の人たち(ゲルマン人など)も働き手として使われるようになるよ。
こうしてローマの穀物は、属州の大農園で奴隷によって生産されたものを輸入するのではなく、各地の田園地帯で自給自足されるようになっていくんだ。
軍隊がコントロール不能に
2つ目の問題は、帝国各地に配備された軍団がローマの皇帝のいうことをきかなくなってしまったこと。
時代や地域を問わず、人を殺すことが認められている軍を政治家がコントロールすることは、とっても大変なこと。
各地の軍団にちゃんと見返りが与えられているうちはいいけれど、不満が生まれるとコントロールするのは難しい。
しかも常に皇帝に有能な人物が即位するとは限らない。
そういうわけで、各地の軍団が独自の指揮官(皇帝)をたてる時代が到来。
これを「軍人皇帝の時代」(235~284。今から2700年ほど前)という。
そんな中、ローマ帝国のエリア外であるライン川とドナウ川を超えたところ(現在のドイツ方面)で複数のグループに分かれて生活していたゲルマン人や、イラン高原のササン朝といった外敵の侵入も活発化。
そんな中、現在のフランスにあたるガリア、シリアのパルミラで独立政権が建設され、属州のコントロールも不能になってしまい、まさに帝国は分裂の危機におちいってしまう。
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