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15.4.1 国際経済体制のいきづまり 世界史の教科書を最初から最後まで

アメリカを苦しめた双子の赤字

ヴェトナム戦争が泥沼化する中、アメリカ合衆国の〈ニクソン〉大統領は、経済的にも大きな方針転換を迫られていた。

ドルの信用が下がり金に交換する人が増えると、それをやめさせるために1971年に金とドルの交換停止を発表した(ドル=ショック)。
国際的な為替はのちに変動相場制に移行することになり、金と交換可能なドルを基軸通貨とする国際経済体制は崩壊することとなった。


ドルの地位低下はヴェトナム戦争だけによるものではなく、国内の財政赤字も要因だ。高齢化の進行によって、社会保障費が財政を圧迫するようになっていたのだ。

国際環境の変化も、アメリカ合衆国の経済的地位を脅かしていた。
1973年の第一次石油危機は、中東から安上がりの原油を仕入れる工業化モデルを崩壊させたし、すでに1960年代には、EECを中心とする西ヨーロッパと、日本が経済成長を遂げ、アメリカ合衆国にとってのライバルは増えていた。


資源をじゃぶじゃぶ投入する従来型の工業に対し、「省エネ型」「物ではなくサービスや情報」に土俵を移さないかぎり、生産性はこれ以上の上昇はのぞめない。
「もうけ」を生み出さなければ、投資した分をペイすることはできない。
停滞を抜け出すため、先進工業国では新たな技術革新(イノベーションが)が切実に求められるようになっていたのだ。


第三勢力も台頭したことで、国際政治の構造は「ソ連対アメリカの二極」から、無視できないプレイヤーが複数存在する「多極化の時代」に入っていったのだ。



アメリカ合衆国の動き


1977年に就任した民主党の〈カーター〉大統領(在任1977〜1981年)は、「人権外交」を掲げて、犬猿の仲であったエジプトとイスラエルとの間にキャンプ=デーヴィッド合意を締結させるなど、中東和平に深く関わった。
イスラエルの安全保障を確保することは国内のユダヤ系団体の支持を確保することにもつながるし、産油地帯である西アジアの情勢安定はアメリカの国益につながると考えられたのだ。



また、1977年には新パナマ運河条約(トリホス=カーター条約)をパナマの〈トリホス〉最高司令官と結び、1979年に主権をパナマに返還している(ただし完全撤退は1999年)。

また、1979年には中華人民共和国と国交を樹立(同時に、中華民国(台湾)とは国交を断絶)している。


しかし、在任中にイラン革命が起きると雲行きがあやしくなった。


イラン革命の影響


1979年代以降の中東では、西洋化への反動や、アメリカ合衆国の中東政策への反発から、伝統的なイスラームを基盤とした生活・文化・政治を復活させようとするイスラーム復興運動が盛んとなっていた。

その影響は政治の世界だけにはとどまらず、日常生活の中にイスラームの習慣や伝統を復活させようとする運動も起きるようになっている。


例えば、1928年(一説には1929年)に設立されていたエジプトのムスリム同胞団という組織は70年代以降、医療・教育・相互扶助といった社会奉仕活動を積極的に行い、人々の支持を拡大させていた。


ムスリム同胞団の理論的な支柱となった〈クトゥブ〉(1906~1966)は社会の正義はイスラーム法が施行されている地域でのみ実現されると主張していたのだが、彼の思想はのちに〈ウサーマ=ビン=ラーディン〉(1957~2011)といったテロリズムを重視する暴力的なグループに影響を与えることにもなる。



そうした「イスラーム復興」の流れをくみ、1979年にはイランでイラン=イスラーム革命が起きた。
シーア派指導者〈ホメイニ〉の下で、アメリカ合衆国と癒着するパフレヴィー朝の国王が追放されたのだ。

選挙で選ばれる法学者ウラマー)で構成される専門家会議が「最高指導者」を選出・罷免し、「最高指導者」が国民の選挙した大統領を承認・罷免するだけでなく警察・司法の長官も任命。「最高指導者」はさらに国軍と革命防衛隊を指揮・統帥するという政治体制は、「イスラーム民主主義」とよばれ、世界の注目を集めた。
しかし「シーア派」の体制が成立したことで、サウジアラビアなどスンナ派との政治的対立は深まっていくことになる。



この動きに対し、1980年~1988年にはアメリカ合衆国の支援を受けたイラクの〈フセイン〉政権が、イランとの間にイラン=イラク戦争を起こす。



メソポタミア地方(ティグリス、ユーフラテス川の下流部)の領有権が、戦争の発端となった

戦争が始まると、イランのアメリカ大使館員が人質にとられる事件(1979~80)が勃発し、カーター大統領はその解決に奔走した。

なお、米ソの核兵器を削減するためのSALT2(ソルト=ツー、第一次戦略兵器制限交渉)をおこない、条約に調印。
しかし、上院が批准を拒否したために、発効はされていない。



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