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世界史の教科書を最初から最後まで 1.3.1 ローマ共和政


強烈な個性を持ったギリシア文化が栄えていた前6世紀末(今から2500年ほど前)、イタリア半島のローマという都市国家では、王が追放され、貴族のグループによる政治(共和政)が始まった。


共和政」というのは、君主がいない政治という意味だよ。
君主がいる政治のことは「君主政」という(君主が「王」という称号を使う場合は「王政」、皇帝という称号を使う場合は「帝政」となる)。

ちなみに、「共和政」イコール「民主政」ではないよ。政権を担当するのが、国民のうちのほんのわずかの貴族の場合もあるからね(貴族共和政)。国民の多くが参加できるようになると、民主共和政と言ったりもする。


王は、イタリア北部で繁栄していたエトルリア人という民族。イタリア半島の南部のギリシア人との交流もあり、高い文明を築き上げていたことで知られる。


エトルリア人の王を追放して、ローマに共和政を建てたのが、イタリア人の一派であるラテン人だ。
こうしてエトルリア人は民族としては”消えて”しまうけど、アーチ建築を初めとするその高い文化はラテン人の築き上げるローマ文化に受け継がれていくよ。

ラテン人の言葉であるラテン語は、その後2500年以上もの間、さまざまな分野において残り続けていくことになるよ。
当時は誰ひとり予想できなかったことだけれどね。


しかしその後、ラテン人の貴族(パトリキ)は、中小規模の農民である同じくラテン人の平民(プレブス)を支配する政治体制を築いていく。

最高指導者であるコンスル(執政官)2名も、パトリキからしか選ばれず、そのコンスルを指導していた実質的な最高指導会議セナトゥス(元老院)のメンバーも、コンスル経験者をはじめとする貴族に限られていた。

しかし、ギリシャのアテネと同様、平民も黙ってはいない。
重装歩兵として平民が重要な役割を持つようになると、貴族に対して参政権を要求するようになったのだ。
まず、前5世紀前半には、元老院とコンスルの決定に「NO」を突きつけることのできる護民官という役職をもうけることがみとめられ、平民だけの民会(平民会)も設置されることになった。


しかし、コンスル2名が貴族から選ばれることや、最高指導会議が元老院であることには変わりない。

前5世紀半ばには、貴族の独占していた「法」の情報が平民に公開された。12枚の板に刻まれたので十二表法という。

十二表法の一部
「第一表 第1条 もし(何人なんぴとかが何人かを)法廷へ呼ぶならば、(後者は)行くべし。もし行かなければ、(前者は)証人を立てるべし。かくしてその者を捕えるべし(★1)。
 第2条 もし(被告が)欺くか、逃げるならば、(原告は)手を置くべし(★1)。
 第八表 第2条 もし(何人かの)手足をこぼち、その者と若いしなければ、同害ターリオあるべし。
 第3条 もし手か杖で骨を砕いたならば、自由人には300アス、奴隷ならば150アスの罰金を負うべし。
 第21条 保護者パトローヌスは、もし庇護民クリエーンスに欺瞞をなすならば、神のものたるべし(★2)。」
 ★1 いわゆる拿捕だほ。自己救済の一例。
 ★2 人間社会の保護一切を除く意。

 *現代日本の法との違いはどこにあるのか、考えてみよう。
 (出典:鈴木一州・訳、江上波夫監修『新訳 世界史史料・名言集』山川出版社、1975年、17頁)

一方その間、ローマはイタリア半島の他地域にあった、ラテン人以外のイタリア人やギリシア人の都市国家の攻撃を進めていった。貴族にとって平民の兵力は無視できないものだったのだ。



前367年には、リキニウス・セクスティウス法(提案した2人の護民官の名前を冠しているのでこんなに長い)の制定によって、コンスルのうち1人は平民から選ばれるようになり、前287年のホルテンシウス法では平民会で決まったことが元老院の認可は関係なく貴族も含めた全ローマの国法となることが決められた。こうして”法的には“ 貴族と平民の格差は縮まったんだ。

しかし、あくまでそれは”法的“な話。

貴族の家柄や権威は、依然として残された。



平民の中でも経済的に成功した富裕層は、経済的な力によって”貴族“に食い込み新貴族」(ノビレス)と呼ばれるようになる。貴族にとっても、平民の一部を取り込んだほうが、都合がいいからね。

こうしてローマでは、貴族の力が温存されていったわけだ。

「元老院」の指導権が続き、「非常事態」を宣言すれば「たった一人のリーダー」が独裁官(ディクタトル)として独裁権を握ることだって可能だった。

貧富の差なんて関係なく政治に参加できたアテネの政治体制とは大違いだよね。
ローマでは、あくまで「元老院」が別格。すべてのローマ市民を導く存在とされ、ローマの政治家はスピーチの冒頭で「ローマの元老院と市民」(略称はSPQR)と呼びかけることが伝統となる。


ギリシャやローマの歴史の醍醐味の一つは、こんなふうに「理想の政治ってどんな体制なんだろう?」と考えるヒントが得られるところにあるよ。
また、アメリカ合衆国の上院の名前が、ローマの元老院(セナトゥス)にあやかって「セネイトsenate」というように、現代の政治思想に対する影響もとっても大きい。

アメリカの作家マーク・トウェインは「歴史は同じようには繰り返さないが、韻を踏む」という名言を残している。
「ローマの歴史」を知った上で、現在の政治を見てみると、また違った視点が得られるかもしれないよ。


このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊