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歴史のことばNo.12 G.ルフェーブル『革命的群衆』

No.11で扱った「フランス革命」つながりで、今回はルフェーブルの『革命的群衆』の言葉を紹介してみたい。


本書のもとになったのは1932年におこなわれた報告で、ギュスターヴ・ル・ボンという聞き慣れない研究者にたいする批判からはじまる。ル・ボンとはどんな人だろう。

フランスの社会心理学者。医学博士。博識多才で、広範な学問分野で活躍したが、『民族進化の心理法則』(1894)、『群集心理』(1895)、『フランス革命と革命の心理』(1912)などの社会心理学上の業績が彼の名を不朽ならしめた。彼は、ヨーロッパにおける産業革命以後の急激な社会変動の局面を「群集の時代」の到来として特徴づけ、群集が、「少数の知的貴族」によって創造され担われてきた文明を破壊するのではないかとの危機感を強烈に抱いた。したがって、彼の群集とは基本的に、道徳的にも知的にも感情的にも低劣な人々の集合体であったといってよい。(『日本大百科全書』)

19世紀末頃から、都市に暮らす有象無象の民衆の動向が政治にどのような影響を及ぼすのか、社会心理の研究がさかんになった。その代表例がル・ボンだった。ルフェーブルの翌年1933年にはドイツでヒトラー政権が誕生した。このヒトラーの愛読書こそが、ルフェーブルの批判したル・ボンの『群集心理』だった(高田博行『ヒトラー演説』)。なにをしでかすのかわからない有象無象。その群集心理を悪用したのがヒトラーだったというわけだ。

ルフェーブルは政治的指導者によってそそのかされた群衆が破局と混乱をもたらすのだというル・ボンの見方にたいして批判する。指導者が群衆を操作し、革命的な暴動が起きるのではない。民衆の間でとりむすばれる「語らい」が、革命的な集合心性を生むのではないか。たとえば酒場やミサのなかから、あるいはパンフレットや新聞などを通して、無関心の人々をひきよせ、民衆のあいだに集団心性が醸成されていく。それは計画的なものではなく、無意識的なものである。政治的なプロパガンダは、上から、組織的に行われるとは限らない。エピナルの刷絵などの印刷物、シャンソン、演説を通して人々の個人の意識に訴えかけ、それが集合心性を形づくる。

こうした語らいは、たとえばフランス革命によって突如はじまったわけではなく、中世以来、脈々と農民の完成に刻み込まれてきたものである。「農民を虐げる領主という単純な構図」。これを生む作用を、ルフェーブルは平準化、抽象化と呼ぶ(38頁)。そのようにして、アリストクラート層(上層の貴族や聖職者)に対する農民たちの反感から、革命的な集合心性が芽生える。それがデマや歪められた情報を引き金として爆発し、革命的な結集体を形成するのではないか。ルフェーブルはそのように考えた。

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フランス革命期の農民は、食料価格の高騰が「アリストクラートの陰謀」であるという考え方を共有していた。農民たちは、自分たちが憎むのと同じぶんだけ、アリストクラートの側も農民たちを憎んでいると思い込んだのである(46頁)。現代においても、暴動という形をとって人々が行動をおこすことがある。それに対して、単に表面的な暴力性に注目し、実際にどうであったかを分析するだけでは不十分だ。人々がどうであるものと信じていたのか、どうであったと信じているのか。それらがどのようなコミュニケーションの伝達経路を通して共有されていったのかを見ることの大切さを、ルフェーブルはおしえてくれる。


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