歴史のことばNo.20 佐藤彰一『禁欲のヨーロッパ』
心性史という歴史学のジャンルがある。20世紀初めのフランスで、政治的な事件ばかりあつかう従来の歴史学に対して、民俗学などの成果を取り入れ、人間の生活文化のすべてを視野に入れた総合的な歴史学を目指したアナール派の運動のなかで発達した、人々の心のあり方の変容をあつかう研究である。
たとえば、そこから見えてくるのは、「◯◯がしたい」あるいは「◯◯がしたいと思うのはいけないことだ」といった欲望にまつわる価値観が、医学的な知識や家族制度の長期的変化をともないながら、ゆっくりと編み直されていった事実だ。
佐藤彰一の『禁欲のヨーロッパ』も、そういった心性の変化に切り込んだ一冊だ。本書において佐藤は、西ヨーロッパの人々が、いつから欲望を表出させることを悪とみなすようになったのかを、具体的に描いてみせる。
このように古代から中世への人々の心性の変容を見ることで、われわれが「近代的な現象」とみている事柄が、じつは思い込みにすぎないことがあらわになってくる。
たとえば「個人主義的な思想は近代のルネサンスがもたらした」といったような説明がよくある。
しかし、中世世界にさかのぼってみると、「ヨーロッパ民衆の自己省察の出発点」にあるのは、修道士の禁欲の思想と実践であり、さらにさかのぼれば古代ギリシア・ローマの人間観にある。ざっくりいえば、古代ギリシアで生まれ、ローマに引き継がれていた「肉体をコントロールすることで、精神を自由にせよ」との理念が、中世への移行期(古代末期)に、「肉体を否定し、精神を解放せよ」との理論に転換していった事情を見なければならない。
では、当時の西ヨーロッパの人々、特にギリシア・ローマの貴族層や女性は、なぜエジプトに起源をもつ修道制度やマルティヌスに魅了され、キリスト教徒になっていったのだろうか。
その背景にあったのは、3〜4世紀のローマ帝国における統治の変質と深刻な社会不安だ。
こうした状況において、ガリアの貴族たちは次のような啓示を得た。
一方、女性の事情はこうだ。
ギリシア・ローマ時代のジェンダー規範(医学的な女性の劣等視、女性を抑圧する結婚・内縁制度)が女性に強いた「孤独」が、のちにキリスト教がローマ女性に急速に浸透する素地となったというのである。古代の禁欲心性については、以上に先立つ第1〜3章で細かに論じられていて興味深い。
禁欲はその後、告白と贖罪のシステムとして教会が制度化し、個人の心のなかへと内面化していくことになる。近代の個人主義は、そのような中世以来に組み上げられていった禁欲の心性構造と地続きなのだ。
内容がやや個別具体的なので、著者の問題関心がつかめないと、何をしようとしているのかわからなくなってしまうかもしれない。問題関心は、もちろんフーコーの『性の歴史』の扱う問題とも重なり合う。『贖罪のヨーロッパ - 中世修道院の祈りと書物 (中公新書)贖罪のヨーロッパ』剣と清貧のヨーロッパ - 中世の騎士修道会と托鉢修道会 (中公新書)』とあわせて読むと、中世の見え方も、おのずと変わってくるはずだ。
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